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海外テニス

ロシアによる侵攻を「人々が忘れ始めている」 ウクライナのテニス選手が母国の窮状を受けて今思うこと<SMASH>

内田暁

2024.06.09

全仏OPダブルスで加藤とペアを組み、初の四大大会ベスト8に進出したキチェノク。終わりの見えないロシア侵攻を受けるウクライナの現状や思いを語った。(C)Getty Images

全仏OPダブルスで加藤とペアを組み、初の四大大会ベスト8に進出したキチェノク。終わりの見えないロシア侵攻を受けるウクライナの現状や思いを語った。(C)Getty Images

 テニスと出会った日々のことは、「“昨日の事のよう”とまでは言わないけれど、とてもよく覚えているの」と、彼女は小さく微笑んだ。

 テニスプレーヤー、ナディヤ・キチェノクは、ウクライナ出身の31歳。単最高100位、そしてダブルスは29位。双子の姉妹、リュドミラもテニスプレーヤーで、2015年の深圳オープンでは“史上2組目の、WTAツアーでダブルス優勝した双子ペア”となった。最近では加藤未唯と組み、全仏オープンではベスト8入り。これは彼女にとって、グランドスラムでの最高戦績である。

 ウクライナ東部地域の町、ドニプロに生まれた彼女が、最初に親しんだスポーツは、ダンスだったという。母親の熱心な勧めもあり、姉妹でスクールに通った幼少期。ただ、「まるで運動神経がなかったの」と、彼女は恥ずかしそうに笑った。

「母親はそれでも私たちスクールに連れていってくれたけれど、正直、楽しくはなかった」

 そう打ち明けるキチェノクが、テニスに出会ったのは、初夏に家族で過ごした休暇先でのこと。

「ウクライナ南部……正確にはクリミアに、家族みんなで旅行に行ったんです。そこにはテニスコートがあったので、父親は友人と一緒にプレーするようになった。私たちも、最初は一緒に行って見ていただけだったけれど、そのうち2人でラケットを手にして、壁打ちを始めたんです。そしたらもう、楽しくて!」
 
 それが、「テニスに恋に落ちた」瞬間だったと、彼女は少女時代を振り返る。「特に楽しかったのが、姉妹で対戦するようになってから。それ以来、私たちはずーっと2人でテニスをしてきたんです」

 バケーションが終りドニプロに戻った後も、2人は、テニスがやりたいと親に訴えた。幸運だったのは近くにテニススクールがあり、選手経験のある優れたコーチがいたこと。

「彼女の名前はイリーナと言って、今も故郷で、ジュニアたちのコーチをしているんですよ」

 親愛の情を示すコーチの元で、2人は本格的にテニスに打ち込み始めた。

 その始まりの日は、2人が何歳の時だったのだろう? 

 そう問うと、「ちょうど8歳になる頃。旅行に行ったのが5月で、その年の7月に私たちは8歳になったから」と、直ぐに答えが返ってきた。

 ずいぶんと具体的に覚えているんですね……と、こちらが驚くと、「日付まで覚えているわ! 特別な日だもの」と笑う。23年前、家族で過ごした初夏の日々が、いかに大切な思い出か伝わってくる笑顔。温暖な気候のクリミアが、まだウクライナの人々にとって、人気の保養地だった頃の出来事だった。クリミア危機により、ウクライナからの渡航が重く規制されるようになったのは、それから13年の後である。
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