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海外テニス

ロシアによる侵攻を「人々が忘れ始めている」 ウクライナのテニス選手が母国の窮状を受けて今思うこと<SMASH>

内田暁

2024.06.09

ナディヤ・キチェノク(右)と、双子の姉妹であるリュドミラ(左)。※写真は4月のチャールストン大会でのダブルス準優勝時。(C)Getty Images

ナディヤ・キチェノク(右)と、双子の姉妹であるリュドミラ(左)。※写真は4月のチャールストン大会でのダブルス準優勝時。(C)Getty Images

 ウクライナで4番目の町に生まれ育った2人は、成長し、プロとして活動するようになり、家族も首都キーウに移った。

 そして、2年前――。彼女にとって、「人生で最悪な出来事」が起きた。

「ロシア侵攻があった前後のことは、昨日のことのように覚えています」

 そう言い彼女は、声のトーンをすっと沈める。

「侵攻が起きる前から、予感はしていました。プーチンの『ウクライナはロシアの一部だ』発言により緊張が高まっていたし、国境封鎖になってしまうのではと心配もしていました。とはいえ、ここまでの侵略や、本格的な戦争が起こると思っていた人は、多くなかったように思います。ただ、出入国が難しくなることは十分に考えられました」

 2022年2月中旬にドーハの大会に出ていたキチェノクは、敗戦後に帰国。次の出場大会は、3月上旬に米国カリフォルニア州開催のBNPパリバ・オープンで、そこに合わせ既に航空券も購入していた。

 だが国境封鎖等を恐れ、急きょ、渡米を早める。
 
「航空券も買い替え、予定より早くアメリカに行くことにしました。ただリュドミラ(双子の姉妹)は、エレナ・オスタペンコ(ラトビア/11位)のコーチである夫を待ち、ぎりぎりまで中東にいたんです。彼女がウクライナに戻ったのは、2月22日。私は『早く行かないと、大変なことになるかもよ』と言ったのですが、彼女は『今帰ってきたばっかりなのよ? ちょっとは休ませてよ』と言うんです。のんきだなと笑ってしまいましたが、同時に、本当に心配でもありました。

 結局、私は23日にウクライナを出発して、アメリカに着いたのが、ウクライナ時間の24日の朝。そして……まさにその頃、ロシアからのロケットミサイルによる、砲撃が始まったんです。

 私は、安全でした。もうアメリカにいたのだから。でもあの時の感情は、恐怖は、決して……決して、生涯忘れることはありません」

 その時にキーウには、彼女の父親、母親、そしてリュドミラもいた。幸いにもリュドミラは、その数日後にはアメリカに向け経つことができたが、両親をはじめとする家族は、その後しばらくキーウに留まっていたという。

 一方のキチェノクは、知人を頼ってしばらく米国フロリダ州のマイアミに留まり、現在はスロバキアを拠点としている。ただ今でも、叔父やいとこなど親族の多くは、ウクライナに居を構えたままだ。
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