サービスエースを決めた時、彼女はボールの落下点と自陣のベンチに視線を送り、その場にしばし立ちつくしていた。
やがて主審が試合終了を告げると、弾けるように両手を天に突き上げる。日比野菜緒が、2時間34分の大熱戦の末に114位のエラ・セイデル(ドイツ)を2-6、7-5、6-4で破り、全仏オープン本戦進出を決めた瞬間の出来事である。
今回の全仏オープンは日比野にとって、9週間に及ぶ長い長いクレーコートロードの、最終地点であった。もともとクレーには、苦手意識があったという。実際に出場した7大会では、2回戦を突破できない苦しい日々が続いた。「ランキングが落ちるリスクを負ってクレーに行く必要があるのか?」と問う声もあったという。
それでも彼女がクレー遠征に出た理由は、昨年末に結婚した、伴侶でコーチの増田啓孝氏にあった。
「彼が、『クレーで勝負してみたい』って言うんですよ」
聞き分けがないんだから……とでもいうように、日比野が優しい笑みを広げて言う。
家族との時間が大好きと公言する日比野にとって、長く日本を離れ赤土のロードに出ることは、以前ならあり得なかったという。ただ今は、その「家族」である夫が常にサポートしてくれる。また、"ツアーコーチ1年生"である啓孝氏には、目に映る何もかもが新鮮だ。
「わたしは10年やってるんですが、彼はフレッシュなので」とは日比野の弁。伴侶が放つルーキーイヤー特有の好奇心と向上心が、日比野に新たな道を歩ませていた。
「全豪オープンが終った後、彼女、ちょっと迷っていたんですよね……」
人生の伴侶であり、今や"職場"のパートナーでもある啓孝氏は、4カ月前の日をそう述懐した。全豪で予選を突破した日比野は、初戦で17シードのマルタ・コスチュク(ウクライナ)と対戦。フルセットの接戦ではあったが、本人の中では「フォアのパワーでやられた」との思いが強かったという。この10年で見ても、上位選手のショットスピードの向上は明らか。そうした現代のテニスに対抗していくには、自分もパワー勝負をすべきなのかという葛藤が、彼女にはあった。
もちろん"ルーキーコーチ"の啓孝も、どうするべきか共に悩み、経験豊かな他のコーチたちにも助言を求めたという。その中で最終的に両者合意に達したのは、「粘り強さと戦略性で勝負する」こと。その方向性が決まった時、啓孝氏は「ならばクレーに出るべき」と強く思ったという。
「ラリーの組み立てや戦略性を修得するには、クレーは絶好の場だと思うんです。クレーで戦った経験は必ず、ハードコートでも生きる」
そんな長期的順路が、彼の目には映っていた。
「それに僕は、菜緒のテニスはクレーにあっているとも思っていたので」
そう言い浮かべる笑みは、家族のそれだったかもしれない。
やがて主審が試合終了を告げると、弾けるように両手を天に突き上げる。日比野菜緒が、2時間34分の大熱戦の末に114位のエラ・セイデル(ドイツ)を2-6、7-5、6-4で破り、全仏オープン本戦進出を決めた瞬間の出来事である。
今回の全仏オープンは日比野にとって、9週間に及ぶ長い長いクレーコートロードの、最終地点であった。もともとクレーには、苦手意識があったという。実際に出場した7大会では、2回戦を突破できない苦しい日々が続いた。「ランキングが落ちるリスクを負ってクレーに行く必要があるのか?」と問う声もあったという。
それでも彼女がクレー遠征に出た理由は、昨年末に結婚した、伴侶でコーチの増田啓孝氏にあった。
「彼が、『クレーで勝負してみたい』って言うんですよ」
聞き分けがないんだから……とでもいうように、日比野が優しい笑みを広げて言う。
家族との時間が大好きと公言する日比野にとって、長く日本を離れ赤土のロードに出ることは、以前ならあり得なかったという。ただ今は、その「家族」である夫が常にサポートしてくれる。また、"ツアーコーチ1年生"である啓孝氏には、目に映る何もかもが新鮮だ。
「わたしは10年やってるんですが、彼はフレッシュなので」とは日比野の弁。伴侶が放つルーキーイヤー特有の好奇心と向上心が、日比野に新たな道を歩ませていた。
「全豪オープンが終った後、彼女、ちょっと迷っていたんですよね……」
人生の伴侶であり、今や"職場"のパートナーでもある啓孝氏は、4カ月前の日をそう述懐した。全豪で予選を突破した日比野は、初戦で17シードのマルタ・コスチュク(ウクライナ)と対戦。フルセットの接戦ではあったが、本人の中では「フォアのパワーでやられた」との思いが強かったという。この10年で見ても、上位選手のショットスピードの向上は明らか。そうした現代のテニスに対抗していくには、自分もパワー勝負をすべきなのかという葛藤が、彼女にはあった。
もちろん"ルーキーコーチ"の啓孝も、どうするべきか共に悩み、経験豊かな他のコーチたちにも助言を求めたという。その中で最終的に両者合意に達したのは、「粘り強さと戦略性で勝負する」こと。その方向性が決まった時、啓孝氏は「ならばクレーに出るべき」と強く思ったという。
「ラリーの組み立てや戦略性を修得するには、クレーは絶好の場だと思うんです。クレーで戦った経験は必ず、ハードコートでも生きる」
そんな長期的順路が、彼の目には映っていた。
「それに僕は、菜緒のテニスはクレーにあっているとも思っていたので」
そう言い浮かべる笑みは、家族のそれだったかもしれない。