ロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、アンディ・マリー(イギリス)。テニスファンの間で“ビッグ4”と呼ばれる彼らは、2000年代後半から約10年以上にわたり、男子テニス界の頂点を争い続けてきた偉大なライバルたちである。
その中でも最高峰の四大大会ではフェデラーが20度、ナダルが22度、ジョコビッチが男子選手史上最多の24度の優勝を誇り、3人合わせて66ものタイトルを積み上げた。一方で、マリーの優勝回数は3度。同時代を戦ったスタン・ワウリンカ(スイス/元3位)と同数であることから、マリーが「ビッグ4」の一員とされることは、しばしば議論の的にもなってきた。
ただマリーも四大大会やマスターズ1000といった大舞台で安定して上位に進出し、16年には初の年間1位に輝くなど、名実ともにトッププレーヤーとしての地位を築いた。またキャリア通算でも46のツアータイトルを獲得し、3人のライバルが達成できていない五輪2連覇(ロンドン・リオ)も経験している。
それに加えてフェデラー、ナダル、ジョコビッチと幾度となく熱戦を繰り広げたマリーは、単なる「四番手」ではなく、3人の鉄人たちに割って入る実力を備えた存在だった。マリーがいたからこそ、あの時代のテニスはよりスリリングで、より深みのあるものになったとも言える。
それでは、昨年のパリ五輪で現役を引退したマリーは自身が“ビッグ4”と呼ばれていることについてどう思っているのだろうか? 米大手ライフスタイル雑誌『GQ』に対し、4人で男子ツアーを牽引していた時代を振り返りながら、こう語っている。
「正直、彼ら3人が成し遂げたことは、僕が達成したことをはるかに上回っているのはわかっている。それでも“ビッグ4”という言葉が使われるようになったのは、四大大会やマスターズ1000といった大きな大会の終盤で、僕ら4人のうち2人または3人、あるいは4人全員が常に勝ち上がっていたからだ」
「股関節を痛めた時、僕は世界1位だった。残念ながら、その後の僕は元のレベルには戻れなかったが、22歳から29歳までの期間は、僕も彼らと並んで常にメジャー大会で優勝を狙える位置にいた。その間、彼ら3人との素晴らしい試合もたくさん経験できた」
史上最高クラスの3人と比べると、「僕は残念ながら“おまけ”のような存在だった」と語るマリー。それでも至高の選手たちに何度も立ち向かった自分を誇らしく思っているようで、中でも13年のウインブルドン決勝でジョコビッチを破って大会初優勝を飾った時のことは今でも忘れられないと明かした。
「(母国開催の)ウインブルドンで優勝するために、史上最高の選手を倒さなければならなかったことを思えば、自分が成し遂げたことを誇りに思っているよ」
“ビッグ4”が築いた黄金時代は、男子テニス史における不朽の伝説となった。彼らが残した栄光と挑戦の記憶は、後の世代にも受け継がれていくはずだ。
文●中村光佑
【動画】これぞ“ビッグ4”!マリーのスーパーショット集
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その中でも最高峰の四大大会ではフェデラーが20度、ナダルが22度、ジョコビッチが男子選手史上最多の24度の優勝を誇り、3人合わせて66ものタイトルを積み上げた。一方で、マリーの優勝回数は3度。同時代を戦ったスタン・ワウリンカ(スイス/元3位)と同数であることから、マリーが「ビッグ4」の一員とされることは、しばしば議論の的にもなってきた。
ただマリーも四大大会やマスターズ1000といった大舞台で安定して上位に進出し、16年には初の年間1位に輝くなど、名実ともにトッププレーヤーとしての地位を築いた。またキャリア通算でも46のツアータイトルを獲得し、3人のライバルが達成できていない五輪2連覇(ロンドン・リオ)も経験している。
それに加えてフェデラー、ナダル、ジョコビッチと幾度となく熱戦を繰り広げたマリーは、単なる「四番手」ではなく、3人の鉄人たちに割って入る実力を備えた存在だった。マリーがいたからこそ、あの時代のテニスはよりスリリングで、より深みのあるものになったとも言える。
それでは、昨年のパリ五輪で現役を引退したマリーは自身が“ビッグ4”と呼ばれていることについてどう思っているのだろうか? 米大手ライフスタイル雑誌『GQ』に対し、4人で男子ツアーを牽引していた時代を振り返りながら、こう語っている。
「正直、彼ら3人が成し遂げたことは、僕が達成したことをはるかに上回っているのはわかっている。それでも“ビッグ4”という言葉が使われるようになったのは、四大大会やマスターズ1000といった大きな大会の終盤で、僕ら4人のうち2人または3人、あるいは4人全員が常に勝ち上がっていたからだ」
「股関節を痛めた時、僕は世界1位だった。残念ながら、その後の僕は元のレベルには戻れなかったが、22歳から29歳までの期間は、僕も彼らと並んで常にメジャー大会で優勝を狙える位置にいた。その間、彼ら3人との素晴らしい試合もたくさん経験できた」
史上最高クラスの3人と比べると、「僕は残念ながら“おまけ”のような存在だった」と語るマリー。それでも至高の選手たちに何度も立ち向かった自分を誇らしく思っているようで、中でも13年のウインブルドン決勝でジョコビッチを破って大会初優勝を飾った時のことは今でも忘れられないと明かした。
「(母国開催の)ウインブルドンで優勝するために、史上最高の選手を倒さなければならなかったことを思えば、自分が成し遂げたことを誇りに思っているよ」
“ビッグ4”が築いた黄金時代は、男子テニス史における不朽の伝説となった。彼らが残した栄光と挑戦の記憶は、後の世代にも受け継がれていくはずだ。
文●中村光佑
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