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海外テニス

【レジェンドの素顔10】“教育ママ”の厳しく熱い指導に幼少期のコナーズは従うが1つの信念は曲げなかった│前編<SMASH>

立原修造

2021.12.27

コナーズは母親の意見に反抗し、両手打ちバックハンドを変えなかった。写真:THE DIGEST写真部

コナーズは母親の意見に反抗し、両手打ちバックハンドを変えなかった。写真:THE DIGEST写真部

 実に不思議な親子である。

 母親は母性愛のかけらも見せず、父親の役目まで一手に引き受けていた。こういう場合、往々にして息子は反抗する。しかし、ジミーときたら、まるで飼い慣らされた犬のように従順なのである。

 ジミーは、ハードなテニスレッスンの中で父親の不在を強く感じ、母親のヒステリックな愛情を享受するようになっていた。成長する過程で、母親への依存度がますます高まっていったのだ。

ジミーのオ能は千金に値すると思い始めた

 そんなコナーズが一度だけ、グロリアに激しく抵抗したことがある。

 コナーズは少年の頃、やせて非力だった。力不足を補うため、バックハンドは両手で打っていた。これをグロリアは快く思っていなかった。大成するには片手打ちであるべきだと考えていたのだ。
 
 この当時――1960年代――のテニスの指導者層は、概して両手打ちを好ましく思っていなかった。両手打ちのプレーヤーで成功した選手がいないというのが、その理由だった。ジミーだけにかぎらず、クリス・エバートもピヨン・ポルグも周囲の者たちに両手打ちを反対されている。

 しかし、子どもだった彼ら(あるいは彼女)にとって、両手打ちは実に都合の良い打ち方だった。この打法を使えば、これまでネットを越えなかったボールも楽にネットを越える。つまり、非力を補えるわけだ。ボルグは当時(11歳)のことを後にこう語っている。

「周囲の大人たちは、両手打ちのバックハンドは間違っていると言って、無理に変えさせようとした。しかし、私は両手打ちの方が打ちやすかったので、アドバイスにまったく耳を貸さなかった。しまいに大人たちはカンカンに怒ってしまった。仕方がないので『もう少ししたら、片手打ちに変えるよ』とその場をとりつくろったが、心の中ではガンとして変える気などなかった」。ボルグのこのガンコさが、周知のとおり、後に大きな実を結ぶことになる。
 
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