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海外テニス

フェデラーのエキジビが史上最多動員を達成! 父母、そして亡きコーチへ…この地で果たしたかった南アへの思い

内田暁

2020.02.09

史上最高のライバルであり友人である、ナダルとフェデラーは、お互いのチャリティーのために協力し合う仲。(C)Getty Images

史上最高のライバルであり友人である、ナダルとフェデラーは、お互いのチャリティーのために協力し合う仲。(C)Getty Images

 前述したように、まずは開催まで時間がかかったことをファンに詫びたフェデラーは、ここに至るまでの歴史を簡単に振り返った。

「ファンデーションを設立したのは、22歳の時(2003年)。その頃の僕はまだ若く、大きなイベントを開催するほどの力もなかった。テニスクラブの小さな小さなコートで、お金を集めるための試合をしたことも何度もある」

 そのような地道な足跡を振り返る彼の表情と声に、感傷の色が滲む。ファンデーション設立、そして南アフリカの地は、フェデラーのテニスプレーヤーとしての……そして何より、一人の人間としての原点でもあるからだ。

 時は、ファンデーション設立の1年前まで遡る。その前年に、ウインブルドンでピート・サンプラスを破り世界に名を知らしめたフェデラーではあるが、02年には同大会の初戦で敗退。当時の彼が得ていた評価は、「才能はピカイチだが、精神的に崩れやすくプレーも安定しない」というものだった。
 
 そんなフェデラーを喜ばせたニュースが、フェデラーが兄のように慕っていた当時のコーチ、ピーター・カーターの奥方の、癌がほぼ完治したこと。そのお祝いとして旅行を計画したカーター夫妻に、フェデラーは行き先として南アフリカを提案した。そこは母親の生まれ故郷であり、フェデラー自身も愛した国だからだ。

 だが、2002年8月1日――フェデラーの21歳の誕生日を1週間後に控えたこの日、カーター夫妻を乗せた車は、南アフリカのナショナル・パークで転落事故に遭遇する。横転した車内で、運転手と乗客……つまりカーター夫妻は、命を落とした。この訃報を遠征先のカナダで知ったフェデラーは、ホテルのロビーを駆け抜け道路に飛び出すと、その場で慟哭したという。
 

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