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モータースポーツ

「こんな日が来るとは思わなかった」青木拓磨と伊藤真一が1997年の鈴鹿8耐以来となるランデブー走行

甘利隆

2020.06.18

青木拓磨氏(中)が伊藤真一氏とバイクでサーキットを走行した。左は弟の治親、右は兄の宣篤。※写真は2019日本グランプリ(C)Getty Images

青木拓磨氏(中)が伊藤真一氏とバイクでサーキットを走行した。左は弟の治親、右は兄の宣篤。※写真は2019日本グランプリ(C)Getty Images

 かつてモーターサイクルロードレースで活躍し、脊髄を損傷して下半身不随となったが、現在も4輪レーサーとして活動する青木拓磨さんが、HRC(ホンダ・レーシング)時代の先輩、伊藤真一さんとバイクでサーキットを駆け抜けた。

 これは拓磨氏がプロデュースする、今年で16年目を迎えるミニバイクによる耐久レース『レン耐』のスポーツランドSUGO大会にて6月14日に実現したもので、ふたりのランデブー走行は、1997年の鈴鹿8耐以来となるという。

 青木三兄弟の次男として知られる拓磨氏は、1995~1996年に全日本ロードレース選手権のスーパーバイククラスを2連覇。 WGP(現在のMotoGP)500ccクラス初エントリーとなった1997年にはランキング5位を獲得している。

 中でもV4エンジンに比べてパワーの劣るVツインエンジンのNSR500Vで4気筒勢を追いかけ回し、3度表彰台に立った1997年の走りは世界に強い印象を与え、“日本人初の最高峰クラスチャンピオン”を期待する声も多かったが、1998年のプレシーズンテストでアクシデントに遭遇し、2輪レースからの引退を余儀なくされた。

 一方の伊藤氏は、全日本GP500クラスでチャンピオンを獲得後、WGPで活躍。ベテランになってもその速さは衰えず、鈴鹿8耐で通算4勝を挙げるなど、輝かしい戦績を誇る。
 
「今日は感動だった。また、こんな日が来るとは思わなかった。2つの思いが重なって、そしてそれが今日両方いっしょに叶ってしまった日だった。本当にレン耐をやり続けてよかった。ありがとう、参加者のみなさん。ありがとう、レン耐を支えてくれている協賛各社さん。ありがとう、伊藤さん。ありがとう、レン耐を支えてくれているスタッフさん。誰一人欠けてたら、叶えられない夢でした。レン耐は、人をつなげますね。もっともっと、バイクで人が繋がっていくと、いいなぁと改めて思いました(一部省略)」と、Facebookでその日を振り返る拓磨氏。

 コメント欄には「今日は楽しかったでしょうね! 参加された方も嬉しかったでしょう」「拓磨さんが一番凄いです! 支えてくださってる皆様ありがとうございます。嬉しいです」「まさに、当時の走りを思い出しますね! 凄すぎる」「素晴らしい! オートバイって楽しいよね!」といったファンや関係者からの声が寄せらた。

 さらには現役トップライダーの加賀山就臣(ゆきお)から「拓ちゃん、楽しそうでイイネ~~^ ^」とのコメント、“イトシン”こと伊藤氏も「青木タクマ主催の菅生レンタイに参加しました。タクマとランデブー走行、夢の様でした」とTwitterで振り返った。

 車椅子ながらもダカールラリーに参戦した拓磨氏は、新型コロナウイルスの影響もあり、来年以降に持ち越しとなってしまったが、ル・マン24時間耐久レースへの挑戦を表明するなど、近年も歩みを止めてはいない。ヘルメットに描かれたトレードマークのペガサスのように、その翼は今も羽ばたいている。

文●甘利隆
著者プロフィール/東京造形大学デザイン科卒業。都内デザイン事務所、『サイクルサウンズ』編集部、広告代理店等を経てフリーランス。Twitter:ama_super

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