モータースポーツ

佐藤琢磨のレース史|19歳でレーシングカートを始めた実績なしの異端児【F1編】

甘利隆

2020.09.23

8月23日、インディアナポリスのインディ500で2度目の優勝を果たした佐藤。彼のレース人生のスタートは19歳だった。(C)Getty Images

 インディ500で2度目の優勝を飾った佐藤琢磨。多くはこのドライバーが順風満帆なレーシングキャリアを積んできたと思っていることだろう。ホンダの庇護を受け、環境に恵まれてきたのは確かだ。しかし、その一方で彼を取り巻く環境は、常に逆境にさらされてきたと見ることもできる。

 F1で優勝経験のない佐藤は、もしかしたら他のトップドライバーに比べ、そこまでの才能には恵まれなかったのかもしれない。だが、固い意志を持って、計画を立て、目標に邁進する実行力、それを可能にするコミュニケーション能力や探求する力で自らの進みたい道を切り開いてきた。彼のドライバーとしての歩みを2回に分けて掲載する。

   ◆   ◆   ◆

 佐藤がF1の存在を初めて意識したのは10歳の時、1987年に鈴鹿で開催された日本GPを父親と見に行ったことがきっかけとなる。幼き琢磨少年は、当時ロータス・ホンダで走っていたアイルトン・セナの走りに魅了された。しかし、すぐにはレーシングドライバーを目指さず、学生時代は自転車競技にのめり込んだ。入学した和光高校には自転車部がなく、担任の教師に掛け合って自転車部を創設し、3年生の時にインターハイで優勝したというエピソードは、まさに持って生まれた実行力、コミュニケーション能力が現れたものといえる。
 
 逆境とは少し違うかもしれないが、レーシングドライバーのとしてのキャリアのスタートが、他の多くのドライバーに比べ、きわめて遅かったこともハンディキャップとなった。

 すでにその頃には10歳以前の幼少期からレーシングカートを始め、そこで実績を残した後、10代後半にはジュニア・フォーミュラに歩を進め、そこからさらにステップアップするというエリートコースができ上がっており、中には現在レッドブル・ホンダで活躍するマックス・フェルスタッペンや来季F1に復帰する元王者のフェルナンド・アロンソのように10代でF1にまでとたどり着く者さえいる。

 そんな趨勢の中、レーシングカートを始めたのは19歳。早稲田大学を休学してSRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール)に入校し、腕を磨く。年齢制限ぎりぎりの19歳だったこともあり、当初は"実績がほとんどない、口の達者なお兄ちゃん"と見られていたが、すぐに持ち前の感覚の鋭さでカートの全日本チャンピオン経験者や講師陣をしのぐ速さを発揮。主席で卒業し、全日本F3選手権に参戦するスカラシップを獲得した。

「スピードでは入った直後から誰にも負けませんでしたが、自分の走りが完璧だとは思わなかったので、全員の走行データをチェックしました。講師陣のデータはもちろんですが、自分より遅いドライバーにも何か学ぶべき点があるんじゃないかと思って、とにかく隅々まで見ていました」と当時を振り返るが、この探究心が短期間での成長を促したことは事実だろう。
 

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