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忘れない3.11から10年――東京五輪メダルを狙う張本智和は「チョレイ封じ」対応でスタイル変更も視野に

佐藤俊

2021.03.11

東京五輪代表に内定している張本智和が、震災から10年を振り返った。(C)Getty Images

東京五輪代表に内定している張本智和が、震災から10年を振り返った。(C)Getty Images

 東日本大震災から今年は、10年目を迎える。

 当時、小学1年生だった張本智和は、3・11のあの瞬間をこう振り返る。

「家で学校の宿題をしている途中で、地震が来て、机の下に隠れたんですけど、それでも収まらなかったので、トイレに駆け込みました。大きなものを置いてないので安全だなって思って。それからちょっと経ってから公園に避難しました。怖さもありましたけど、ビックリというのが一番で‥‥。それからしばらくは車の中で生活していました」

 その後、張本は家族とともに新潟から父親の故郷である中国の四川省に避難した。

「日本がすごく恋しくなりましたし、学校の友人に早く会いたいなって思っていました」

 1か月間、中国に滞在したが、その間、卓球の練習はほとんどしなかった。

 仙台に戻って、学校に行くと友人と「何してた?」「元気だった?」と、寂しかった時間を埋めるように話をし続けていたという。

 あれから10年が経過した。

「もう10年経ってしまったんだなって思います。10年の時間の早さを感じますね。でも、3・11は忘れることなくやってこれたのは良かったと思います」

 10年間、3・11を忘れることはなかった。その間、ジャンパントップ12では仙台で2回優勝し、東北のファンを勇気づけた。卓球の日本代表のユニフォームには、「WASURENAI3・11」というロゴが入っている。

「3月11日に一度、必ず思い出しますし、4月にユニフォームが支給されてからも忘れないという気持ちになります」
 
 10年目の節目となる今年、張本にとって嬉しい出来事が起きた。

 ニューヨークヤンキースから田中将大が東北楽天イーグルスに帰ってきたのだ。田中が東北楽天のエースとして活躍し、巨人を破って日本シリーズに優勝したのが2013年。張本は、まだ9歳だったが、その姿に憧れ田中のファンになった。

 その当時のことは今も鮮明に覚えているという。

「優勝した翌日は、学校でも野球やっている友人がけっこういたので、『すごいな』って盛り上がりました(笑)。優勝した時の田中投手はもうシンプルに強くて、格好いいって思いました」

 卓球少年だった張本は、違うスポーツだがアスリートとして田中の姿に、将来の自分の姿を重ねていた。そして、それは10年経過した今も変わらないようだ。

「田中投手は、世界を代表するピッチャーになられたので、自分もそういう選手になりたいと思っています。野球と違って卓球は五輪がすべてなので、田中投手に近づく存在になるためには、やはりオリンピックでメダルが必要かなって思いますね」
 
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