これまでクラシック三冠馬は8頭いるが、筆者が直に観たことがないセントライト(1941年)とシンザン(1964年)を除いた6頭のなかで一番強い勝ち方をしたのは、無敗で制覇したシンボリルドルフでもディープインパクトでもコントレイルでもなく、間違いなくナリタブライアンだったと今も確信している。
たとえば、ディープインパクトとの比較で見てみよう。
ディープインパクトが三冠レースで2着に付けた着差は、皐月賞が2馬身半、日本ダービーが5馬身、菊花賞が2馬身だった。
比してナリタブライアンというと、皐月賞が3馬身、日本ダービーが5馬身、菊花賞が7馬身。ひとレースごとに着差を広げながら、ぶっちぎりで三冠制覇を達成したのは”驚異的”のひと言だ。
なかでも日本ダービーでは、他馬に進路を妨害されることのみが心配材料だとして、道中はあえて馬群の外を回り、直線も馬群から離れて馬場の真ん中まで持ち出されて5馬身差の圧勝を遂げた恐ろしいまでの強さがいまも脳裏にこびりついて離れない。
また皐月賞を圧勝したあとは、競馬マスコミのみならず、トレーニングセンターでの取材のルールやマナーを知らない一般マスコミまでが殺到して混乱をきたしたため、厩舎の周りに規制線が設けられ、ピリピリと張り詰めたムードが漂ったほどだった。
そして三冠制覇後に出走した有馬記念でも、ディープインパクトが疲労の影響もあって先行したハーツクライを捉え切れず国内で唯一の敗戦を喫した一方、ナリタブライアンは2着のヒシアマゾンを3馬身突き放して楽勝したのだから、まさに手が付けられない強さだった。
異色の名馬だった。
デビューは2歳の8月。デビューの新馬戦に敗れ、2週間後の新馬戦(※)を勝ち上がったものの、函館3歳ステークス(GⅢ、現・函館2歳ステークス)は6着に大敗。続くきんもくせい特別(500万下、現・1勝クラス)を快勝するも、続くデイリー杯3歳ステークス(GⅡ、現・デイリー杯2歳ステークス)は離れた3着に終わる。
しかし、ここからナリタブライアンは別馬になったかのような快進撃を始める。
たとえば、ディープインパクトとの比較で見てみよう。
ディープインパクトが三冠レースで2着に付けた着差は、皐月賞が2馬身半、日本ダービーが5馬身、菊花賞が2馬身だった。
比してナリタブライアンというと、皐月賞が3馬身、日本ダービーが5馬身、菊花賞が7馬身。ひとレースごとに着差を広げながら、ぶっちぎりで三冠制覇を達成したのは”驚異的”のひと言だ。
なかでも日本ダービーでは、他馬に進路を妨害されることのみが心配材料だとして、道中はあえて馬群の外を回り、直線も馬群から離れて馬場の真ん中まで持ち出されて5馬身差の圧勝を遂げた恐ろしいまでの強さがいまも脳裏にこびりついて離れない。
また皐月賞を圧勝したあとは、競馬マスコミのみならず、トレーニングセンターでの取材のルールやマナーを知らない一般マスコミまでが殺到して混乱をきたしたため、厩舎の周りに規制線が設けられ、ピリピリと張り詰めたムードが漂ったほどだった。
そして三冠制覇後に出走した有馬記念でも、ディープインパクトが疲労の影響もあって先行したハーツクライを捉え切れず国内で唯一の敗戦を喫した一方、ナリタブライアンは2着のヒシアマゾンを3馬身突き放して楽勝したのだから、まさに手が付けられない強さだった。
異色の名馬だった。
デビューは2歳の8月。デビューの新馬戦に敗れ、2週間後の新馬戦(※)を勝ち上がったものの、函館3歳ステークス(GⅢ、現・函館2歳ステークス)は6着に大敗。続くきんもくせい特別(500万下、現・1勝クラス)を快勝するも、続くデイリー杯3歳ステークス(GⅡ、現・デイリー杯2歳ステークス)は離れた3着に終わる。
しかし、ここからナリタブライアンは別馬になったかのような快進撃を始める。