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卓球を愛した水谷隼という男。最高のフィナーレを迎えた頼れる兄貴はレジェンドとして生き続ける

佐藤俊

2021.08.16

水谷は集大成として挑んだ東京五輪で混合ダブルスで金、団体戦で銅メダルと過去最高の成績を残した。(C)Getty Images

水谷は集大成として挑んだ東京五輪で混合ダブルスで金、団体戦で銅メダルと過去最高の成績を残した。(C)Getty Images

「卓球から完全に離れると思います」

 男子卓球の日本代表・水谷隼が現役引退を表明した。

 東京五輪では、卓球競技のスタートになった混合ダブルスで伊藤美誠と組み、中国を0-2からの逆転勝利を収め、日本卓球史上初の金メダルを獲得した。この歴史的な快挙がその後のシングルス、そして団体戦へと波及し、日本は女子シングルスで伊藤が銅メダル、女子団体戦で銀メダル、そして水谷が出場した男子団体戦で銅メダルを獲得した。

 水谷は、永らく日本の卓球界を支えてきた。

 17歳7か月で全日本選手権で優勝し、明大に進学しながらも欧州のドイツ1部リーグのデュッセルドルフに入団、自らの技術を磨いた。初の五輪挑戦となった2008年の北京五輪では団体戦に出場し、5位入賞した。2012年のロンドン五輪では世界ランキング5位で出場し、メダルの期待が高まったが4回戦で敗退。団体戦もメダルを逸した。大きなプレッシャーの中、結果が出なかったことに苦悩したが、2013年にロシアのプレミアリーグに行くなどして卓球を磨き、国際試合でタフに戦える選手に成長した。
 
 2016年のリオ五輪ではその経験を活かして男子シングルスで銅メダル、団体戦では銀メダルを獲得し、男子チームの中心となって活躍した。水谷にとっては、リオ五輪がキャリアハイとなり、東京五輪でこの上を目指すべく新たなスタートを切った。

 そんなエースに最大の試練が訪れる。

 2018年1月、目の不調を訴え、ボールが見えづらくなったのだ。

 近年、国際大会を始め国内でも大きな大会は演出が派手になり、スポットライトが当たる中で試合を行なう。水谷は、観客席が暗く、LED照明で明るく照らされた卓球台に視線をやると、その明るさが余計に眩しく感じ、高速で台上を行き来する白球がとらえにくくなる。実際、卓球のスマッシュの最高速度は、時速180kmと言われ、台上でのスピード感はテニスやバトミントンの比ではない。

 しかも今は高速卓球の時代と言われている。より正確に相手の動きと高速で動くボールの行方を判断するには、動体視力と視野の広さが求められる。水谷は、レーシック手術で視界の回復を試みたが、右眼について2回目の手術の踏み切った際、違和感が増していった。
 

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