1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの"格闘技ブーム"があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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格闘技には、多種多様なルールが存在する。大きく分ければ、打撃系と組み技系、そして総合格闘技(MMA)だ。
一括りにされがちな"キックボクシング"でも細かな違いがある。たとえば、K-1は旧体制と新体制ともにヒジ打ち禁止のルールが設けられている一方で、そのほかのキックボクシング団体ではヒジ打ちが有効であることが多い。ヒジ打ちは、ヒザ蹴りとともにタイの国技であるムエタイの重要なテクニックでもある。
団体やイベントによってルールが違うからこそ、それを乗り越えて勝利する必要が出てくる。たとえばムエタイの選手がK-1に出る場合、ヒジ打ちや組んでの攻撃ができないというハンデを負う。逆に日本のキックボクサーが、"打倒・ムエタイ"を目指しタイで闘えば、日本のキックボクシングとは異なるルール、判定基準も考えなくてはいけないのだ。
そういう難しさもあるなか、ムエタイの選手としてK-1で優勝、日本でも大人気となったのがブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)だ。
筆者がブアカーオを初めて見たのは2002年、タイのリング。日本から"野良犬"こと小林聡が出場したワンデー・トーナメントだった。
【動画】K-1のリングで異彩を放ったムエタイの技巧! ブアカーオのハイライトをチェック
ムエタイで天才と称される実績を残していたブアカーオは、この試合で小林に決勝で判定勝ちをし、優勝を収めている。その時のファイトスタイルは、徹底的に組み付いてヒザ蹴りを繰り出すというもの。そうして相手が得意とするパンチやローキックを潰してみせた。それは典型的なムエタイスタイルのひとつと言っても過言ではなかった。
ところが、2004年に中量級トーナメント・K-1 WORLD MAXに出場したブアカーオは、当時、絶対的な存在感を放っていた魔裟斗の2連覇を阻止して戴冠。ヒジなしルールにも対応していたから驚かされた。とくに前蹴りは、威力、タイミングともに抜群だった。
翌年のK-1 WORLD MAXは、シュートの絶対王者と言われたアンディ・サワー(オランダ)に決勝で敗れるも、続く2006年は、そのサワーにリベンジを果たしてふたたび優勝を果たす。
このトーナメントで、ブアカーオは佐藤嘉洋、サワーをパンチでKOしているのだが、K-1のルールにアジャストし、そのレベルを高め続けた結果だった。宍戸大樹を開始15秒、左フックで倒した一戦は、世間に強烈なインパクトを残した。
2010年にはシュートボクシングの世界トーナメント「S-cup」も制覇。立ち技70キロ最強の一角として、さまざまなリングで結果を残し続けた。
多くのタイ人選手がそうであるように、決して饒舌ではなかった。だからこそ"キャラありき"ではなくその強さ、勝利に対する真摯さでファンの支持を勝ち取ったと言えるだろう。
ブアカーオの活躍から、ムエタイ戦士がタイを飛び出し、世界中で出世していくことが増えた印象がある。新生K-1でもゲーオ・ウィラサクレック、ゴンナパー・ウィラサクレックがベルトを巻いた。ルールの壁を打ち破る強さも、確かにあるのだ。
文●橋本宗洋
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格闘技には、多種多様なルールが存在する。大きく分ければ、打撃系と組み技系、そして総合格闘技(MMA)だ。
一括りにされがちな"キックボクシング"でも細かな違いがある。たとえば、K-1は旧体制と新体制ともにヒジ打ち禁止のルールが設けられている一方で、そのほかのキックボクシング団体ではヒジ打ちが有効であることが多い。ヒジ打ちは、ヒザ蹴りとともにタイの国技であるムエタイの重要なテクニックでもある。
団体やイベントによってルールが違うからこそ、それを乗り越えて勝利する必要が出てくる。たとえばムエタイの選手がK-1に出る場合、ヒジ打ちや組んでの攻撃ができないというハンデを負う。逆に日本のキックボクサーが、"打倒・ムエタイ"を目指しタイで闘えば、日本のキックボクシングとは異なるルール、判定基準も考えなくてはいけないのだ。
そういう難しさもあるなか、ムエタイの選手としてK-1で優勝、日本でも大人気となったのがブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)だ。
筆者がブアカーオを初めて見たのは2002年、タイのリング。日本から"野良犬"こと小林聡が出場したワンデー・トーナメントだった。
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ムエタイで天才と称される実績を残していたブアカーオは、この試合で小林に決勝で判定勝ちをし、優勝を収めている。その時のファイトスタイルは、徹底的に組み付いてヒザ蹴りを繰り出すというもの。そうして相手が得意とするパンチやローキックを潰してみせた。それは典型的なムエタイスタイルのひとつと言っても過言ではなかった。
ところが、2004年に中量級トーナメント・K-1 WORLD MAXに出場したブアカーオは、当時、絶対的な存在感を放っていた魔裟斗の2連覇を阻止して戴冠。ヒジなしルールにも対応していたから驚かされた。とくに前蹴りは、威力、タイミングともに抜群だった。
翌年のK-1 WORLD MAXは、シュートの絶対王者と言われたアンディ・サワー(オランダ)に決勝で敗れるも、続く2006年は、そのサワーにリベンジを果たしてふたたび優勝を果たす。
このトーナメントで、ブアカーオは佐藤嘉洋、サワーをパンチでKOしているのだが、K-1のルールにアジャストし、そのレベルを高め続けた結果だった。宍戸大樹を開始15秒、左フックで倒した一戦は、世間に強烈なインパクトを残した。
2010年にはシュートボクシングの世界トーナメント「S-cup」も制覇。立ち技70キロ最強の一角として、さまざまなリングで結果を残し続けた。
多くのタイ人選手がそうであるように、決して饒舌ではなかった。だからこそ"キャラありき"ではなくその強さ、勝利に対する真摯さでファンの支持を勝ち取ったと言えるだろう。
ブアカーオの活躍から、ムエタイ戦士がタイを飛び出し、世界中で出世していくことが増えた印象がある。新生K-1でもゲーオ・ウィラサクレック、ゴンナパー・ウィラサクレックがベルトを巻いた。ルールの壁を打ち破る強さも、確かにあるのだ。
文●橋本宗洋
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