1990年代から2000年代初頭、日本では現在を上回るほどの“格闘技ブーム”があった。リードしたのは、立ち技イベント「K-1」。その個性豊かなファイターたちの魅力を振り返る。
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1990年代から2000年代前半に日本で一大ブームを巻き起こしたK-1は、完全な“予想外”から始まった。
93年に開催された第1回K-1グランプリ。世界中から強豪が集結した8人ワンデイ・トーナメントの決勝に進出したのは、当時の日本では無名の2人だった。ひとりはブランコ・シカティック(クロアチア)。1回戦でムエタイの猛者チャンプア・ゲッソンリット(タイ)、準決勝では佐竹雅昭をKOし、のし上がった。
【動画】世界に衝撃をもたらしたバンナ戦! ホーストの圧巻KOシーン
そんなクロアチアの雄と対峙したのが、アーネスト・ホーストだった。こちらも1回戦でピーター・アーツを下すと、準決勝ではモーリス・スミスをハイキックでKOして日本の格闘ファンに強烈なインパクトを与えていた。
日本のエースだった佐竹の敗戦にも驚いたが、何よりもホーストの快進撃は衝撃的だった。アーツとスミスは当時のキックボクシング界でトップの存在だったのだ。
無名同士の決勝。だが、勝ち上がり方で見せた説得力は抜群だった。両雄がヨーロッパでは実績のある選手だと理解するのに大した時間は必要なかった。
「世界にはとんでもなく強い選手がまだまだいる」
まだインターネットもない時代。シカティックとホーストの登場によってもたらされた驚きはそのままK-1の魅力につながった。この決勝戦、シカティックがストレート一発で失神KO勝利という、これまた歴史に残る結末を迎えた。
ただ敗れたホーストは、本来でいえば階級が下。純粋なヘビー級ではなかった。そこでその年の12月、K-2グランプリが開催。ここでオランダの偉才は本来の実力を見せて優勝を果たす。準決勝と決勝はいずれもハイキックによるKO勝ちだった。
それでも、ホーストは満足しなかった。彼は肉体改造に取り組んでヘビー級に増量すると、再びK-1のリングに立つ。そしてアンディ・フグ、アーツらとともに黄金時代を築き上げたのである。
この時から「ミスター・パーフェクト」の異名を名付けられるようになったホーストは、97年、99年、2000年、02年と、史上最多タイである計4度のグランプリ制覇を記録。“フォータイムス・チャンピオン”として歴史に名を残した。
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1990年代から2000年代前半に日本で一大ブームを巻き起こしたK-1は、完全な“予想外”から始まった。
93年に開催された第1回K-1グランプリ。世界中から強豪が集結した8人ワンデイ・トーナメントの決勝に進出したのは、当時の日本では無名の2人だった。ひとりはブランコ・シカティック(クロアチア)。1回戦でムエタイの猛者チャンプア・ゲッソンリット(タイ)、準決勝では佐竹雅昭をKOし、のし上がった。
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そんなクロアチアの雄と対峙したのが、アーネスト・ホーストだった。こちらも1回戦でピーター・アーツを下すと、準決勝ではモーリス・スミスをハイキックでKOして日本の格闘ファンに強烈なインパクトを与えていた。
日本のエースだった佐竹の敗戦にも驚いたが、何よりもホーストの快進撃は衝撃的だった。アーツとスミスは当時のキックボクシング界でトップの存在だったのだ。
無名同士の決勝。だが、勝ち上がり方で見せた説得力は抜群だった。両雄がヨーロッパでは実績のある選手だと理解するのに大した時間は必要なかった。
「世界にはとんでもなく強い選手がまだまだいる」
まだインターネットもない時代。シカティックとホーストの登場によってもたらされた驚きはそのままK-1の魅力につながった。この決勝戦、シカティックがストレート一発で失神KO勝利という、これまた歴史に残る結末を迎えた。
ただ敗れたホーストは、本来でいえば階級が下。純粋なヘビー級ではなかった。そこでその年の12月、K-2グランプリが開催。ここでオランダの偉才は本来の実力を見せて優勝を果たす。準決勝と決勝はいずれもハイキックによるKO勝ちだった。
それでも、ホーストは満足しなかった。彼は肉体改造に取り組んでヘビー級に増量すると、再びK-1のリングに立つ。そしてアンディ・フグ、アーツらとともに黄金時代を築き上げたのである。
この時から「ミスター・パーフェクト」の異名を名付けられるようになったホーストは、97年、99年、2000年、02年と、史上最多タイである計4度のグランプリ制覇を記録。“フォータイムス・チャンピオン”として歴史に名を残した。