アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スピードスケート日本代表選手としてオリンピック3大会に出場し、2018年平昌オリンピックではチームパシュートとマススタートの2冠に輝いた髙木菜那氏。
チームパシュートで銀メダルを獲得した北京オリンピック後に現役を退いた髙木氏が、オリンピック金メダルの舞台裏や、スケートへの思い、ジュニアアスリートへのアドバイス、引退後に抱いている意外な心境などを語ってくれた。
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■兄がきっかけで始めたスケート。妹の美帆と3人でリンクに通った小学生時代
――スピードスケートを始めたきっかけを教えていただけますか。
初めてスケート靴を履いたのは小学校1年生の冬の体育の授業だったと思います。2つ上の兄が行っていた地元のスケートクラブに一緒に通うようになり、後に2つ下の妹の美帆も加わりました。
――夏はサッカーもやっていたそうですね。
2年生の時から私の小学校にサッカー少年団ができて、見ていて面白そうだったので始めました。中学生までは夏はサッカー、冬はスケートをやっていました。
――その中でスケート一本に絞ろうと決めたのはどのような理由からですか。
高校に入る時にサッカーとスケートのどちらをやるかと考えて、実績が残っていたのがスケートだったので、高校ではスケートを部活動で頑張るということを決めました。
でも、高校1年生の時は2年生、3年生の先輩方が強くて、一緒に戦えるレベルではなかったんです。もっと早くなりたいと思って、本気で練習をし始めたのが、高校2年生の時でした。

写真:THE DIGEST
――高校卒業後は実業団に入ってオリンピックを目指すようになりました。
妹の美帆が出場した2010年バンクーバーオリンピックを現地に見に行ったのが、高校2年生の2月のことです。そこで自分も本格的にオリンピックを目指したいという気持ちが芽生えていたところで、タイミング良く実業団から声をかけていただいたんです。
色々考えた末、オリンピックに近いのは実業団に入って真剣にスケートに向き合うことだと思い、その道を選びました。
――社会人3年目のシーズンだった2014年にソチオリンピックに初出場。当時の心境を教えてください。
その時私は21歳。オリンピックに出たいという一心で実業団に入って、そこから3年間、夢に向かって頑張っていたので、オリンピックに行けたことはすごく嬉しかったです。でも、実際に出場して感じたのは、オリンピックは行くだけではダメなんだなということでした。
チームパシュートで銀メダルを獲得した北京オリンピック後に現役を退いた髙木氏が、オリンピック金メダルの舞台裏や、スケートへの思い、ジュニアアスリートへのアドバイス、引退後に抱いている意外な心境などを語ってくれた。
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■兄がきっかけで始めたスケート。妹の美帆と3人でリンクに通った小学生時代
――スピードスケートを始めたきっかけを教えていただけますか。
初めてスケート靴を履いたのは小学校1年生の冬の体育の授業だったと思います。2つ上の兄が行っていた地元のスケートクラブに一緒に通うようになり、後に2つ下の妹の美帆も加わりました。
――夏はサッカーもやっていたそうですね。
2年生の時から私の小学校にサッカー少年団ができて、見ていて面白そうだったので始めました。中学生までは夏はサッカー、冬はスケートをやっていました。
――その中でスケート一本に絞ろうと決めたのはどのような理由からですか。
高校に入る時にサッカーとスケートのどちらをやるかと考えて、実績が残っていたのがスケートだったので、高校ではスケートを部活動で頑張るということを決めました。
でも、高校1年生の時は2年生、3年生の先輩方が強くて、一緒に戦えるレベルではなかったんです。もっと早くなりたいと思って、本気で練習をし始めたのが、高校2年生の時でした。

写真:THE DIGEST
――高校卒業後は実業団に入ってオリンピックを目指すようになりました。
妹の美帆が出場した2010年バンクーバーオリンピックを現地に見に行ったのが、高校2年生の2月のことです。そこで自分も本格的にオリンピックを目指したいという気持ちが芽生えていたところで、タイミング良く実業団から声をかけていただいたんです。
色々考えた末、オリンピックに近いのは実業団に入って真剣にスケートに向き合うことだと思い、その道を選びました。
――社会人3年目のシーズンだった2014年にソチオリンピックに初出場。当時の心境を教えてください。
その時私は21歳。オリンピックに出たいという一心で実業団に入って、そこから3年間、夢に向かって頑張っていたので、オリンピックに行けたことはすごく嬉しかったです。でも、実際に出場して感じたのは、オリンピックは行くだけではダメなんだなということでした。