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食と体調管理

「不可能は可能性だ」たゆまぬ向上心と探求心でパラ・クロスカントリースキー日本代表を牽引する新田佳浩の強さと食生活

松原孝臣

2023.01.05

写真提供:日立ソリューションズ

写真提供:日立ソリューションズ

 アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、クロスカントリースキーでパラリンピックに7度出場、2018年平昌パラリンピックではバンクーバー大会に引き続き8年ぶりの金メダルを獲得したレジェンド、新田佳浩選手。長期間にわたり第一線で活躍できた経緯、その土台となる食への意識、今後の夢などを聞いた。

■スキーとの出会い、パラリンピックを目指したきっかけ

――スキーを始めたきっかけを教えてください。

 4歳のときに親が「スキー板を買ってきたからやるぞ」と言って、それがスキーを始めたきっかけでした。地元の小学校では年に3回スキー教室があったので学校の先生に迷惑をかけないように、という思いから先に始めておこうというのが理由でした。

 最初はアルペンスキーをしていましたが、「なんでこの板を履かされないといけないんだ」「靴が重い」と拷問に近い感覚がありました(笑)。

 それでも速いスピードを出したときの爽快感が印象的で、転ばないようにするには、とか、どうやったら速く滑れるんだろうとか、考える気持ちが勝って続けられたと思いますし、3歳で怪我をして、できないことの方が多かったので、できないことができる喜びを学んだのもその頃だったと思います。

――クロスカントリースキーはいつから始めたのでしょうか。

 小学校3年生くらいからです。クロスカントリースキーの板は横幅がアルペンスキーの板の4分の1くらいしかないんです。「その幅の中でバランスをとれるようになったらアルペンスキーも上手になりますよ」と当時の小学校のクロスカントリースキーの先生が教えてくれて始めました。

――クロスカントリースキーを選んだ理由はどのようなところにあったのでしょうか。

 中学3年生のとき、受験勉強で1年間スキーから離れていました。あるとき妹と「一緒にそのあたりを滑らない?」と話して、誰も歩いてない雪原の上に行ったときに後ろを振り向くと、自分が歩いてきた足跡しか見えませんでした。

 それを見て普段は行けない場所でもスキーの板を履けば行けるんだと学んで、いろいろな冒険ができるのがやっぱりクロスカントリースキーなのかと思いました。誰もいない山の中にも入っていけますし、自然を独り占めできるところに僕は魅力を感じました。
――高校2年生のときには長野パラリンピックに出場しました。目指した経緯を教えてください。

 徐々に競技に戻ろうかなと思っていた1995年3月のことです。「長野でパラリンピックがあるから選手を探している」とスカウトされました。それが長野パラリンピックを目指す最初のきっかけになりました。

――初めて出場した大舞台はいかがでしたか?

 地元で行われたので、学校の同級生が岡山県からバス4台か5台くらいで長野の白馬まで応援に来てくれました。会場のコース脇に応援の旗を掲げて応援してくれたのがいちばん印象に残っています。

 試合の方は、最初はすごく緊張したんですけども、今までいろいろな人に支えられていたんだ、発表の舞台をもらったな、という気持ちになれて、地元で行われたのであたたかい状況の中で楽しめたと思います。

 同時にチームメイトでメダリストになった選手がいたので、表彰式に呼ばれている姿に、僕もそういう舞台に立ちたいと思いました。
 

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