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食と体調管理

「納得いくまで空手を続けたい」空手・植草歩が東京五輪後にたどり着いた自分らしさ。変化した競技への向き合い方と日々を支える食生活

元川悦子

2023.04.03

 明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回はTOKYO2020の空手女子61キロ超級日本代表として出場した植草歩選手が登場。空手のトップ選手として活躍する現在はもちろんのこと、幼少期から空手に打ち込んだきっかけ、五輪を目指した日々、その後の人生、今後の目標、さらなる飛躍を目指すための食生活まで幅広く語ってくれた。

■お姫様のように扱われた子供時代

――子供時代の植草さんはどんな少女でしたか?

 田舎育ちなんで、木に登ったりとか、ヤンチャで活発な子だったと思います。習い事は最初、ピアノと水泳をしていました。ピアノは空手を始めると同時にやめましたけど、水泳は好きでしたね。やっぱり体を動かすことが得意だったし、何か一番を競うってことが好きだったので。

――空手を始めたきっかけは?

 小学校3年の時に父と近くの道場へ行って、試し打ちをさせてもらったんです。その時の「パーン」って音を聞いて、ふわーっとした感覚に襲われて、「ああ、これだ」と。運命の人と出会うみたいな感覚でした。その瞬間に父に「ピアノをやめるから、空手をやらせてほしい」と言いましたね。

――打つ競技であれば、ボクシングなどもありますよね。

 きっと運命なんですよね。ボクシングや極真空手、格闘技などいろんな選択肢がある中で、たまたま出会ったのがその道場だったから。確かに近くに極真空手や柔道の道場もありましたけど、私は空手がいいと思いました。

――指導者の方は?

 女の子が少なかったせいか、私を物凄く可愛がってくれました。「歩、姿勢がキレイだね」「引手が美しいよ」って何でも褒めてくれたんで、どんどん空手が楽しくなっていきました。保護者の方にも優しくしてもらって、本当にお姫様のように扱ってもらいました。

 先生とのやり取りで一番覚えているのが、「歩、グッと拳を握ってミットを殴ってみろ」と言われた時です。殴ったら痛いですよね。「歩も痛いけど、殴られた人はもっと痛い。空手を習って人を傷つけることは絶対にしちゃいけない。ケンカに使っちゃいけないんだ」と諭されて、胸に深く刻まれましたね。
 


――素晴らしい環境で中学校まで空手を続けたんですね。

 はい。小5からは空手と陸上競技を掛け持ちしていました。それまでやっていた水泳と同じで、陸上は個人競技。一時、ミニバスケットボールに誘われたこともあったんですけど「土日の試合に誰かが欠けると迷惑がかかる」と言われ、自分には個人競技が合っていると思い、そちらを選びました。種目は短距離と走り幅跳びですね。跳躍力とか瞬発力は運動の基礎ですし、やっていてプラスになることが多かったかなと思います。

 学校の部活動でそちらをやって、その後は夜7時から10時頃まで空手の練習に通いました。行きは母が送ってくれて、帰りは父が道場まで迎えにくるといった形でした。道場は八日市場に本部道場があり、成東と八街にも行くことがあったので、電車に乗ることもあったし、幼馴染のお兄さんに同乗させてもらうこともありました。多くの人のサポートがあって競技生活が成り立っていました。

――小中学生にしてみれば、相当ハードな生活ですが、なぜそこまで空手にのめり込んだのですか?

 ずっとチャンピオンになれなかったからというのがあると思います。千葉で一番になっても日本一になれない時期が長く続いた。高校総体も3位ですし、全日本選手権も社会人になるまで優勝できなかった。「日本一になりたい」とずっと思い続けていたんです。

 空手の組手って相手によって変わるし、「この駆け引きでこの技を出せるようになりたい」といろいろ考えますよね。何をやっても時間が足りない。その奥深さも面白かったんだと思います。
 

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