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格闘技・プロレス

「モノが違う」――。関係者を震え上がらせた皇帝・ヒョードル。“最強幻想”の象徴だった男の意外な一面【PRIDE名戦士列伝】

橋本宗洋

2023.04.22

いかなる大物との試合でも、非情な現実を突きつける。そんな圧倒的強さでヒョードルは人気を博した。(C)Getty Images

いかなる大物との試合でも、非情な現実を突きつける。そんな圧倒的強さでヒョードルは人気を博した。(C)Getty Images

 日本でいえばRIZIN、海外ではUFCやONEなど、MMA(総合格闘技)が世界的な盛り上がりを見せている。一連のムーブメントの“原点”と言えるのが、1990年代から2000年代前半に行なわれ、各国の個性豊かな猛者たちが鎬を削ったPRIDEだろう。

 そんなMMA第一次黄金時代を彩った名選手たちを振り返ってみよう。

―――◆―――◆―――

 格闘技における最大のロマン、それは“最強”である。

 強いこと、勝つこと。これに優るものはない。

 かつて、日本における総合格闘技人気の火付け役となった団体「PRIDE」には世界のどのプロモーションよりも“最強幻想”があった。そんな当時「世界最高峰」と言われた舞台で、誰よりも結果を出し、無類の強さを見せつけたのが、エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)だ。

 柔道、サンボで活躍したロシアの新鋭が日本のマットに初めて登場したのは2000年5月のこと。旗揚げ当初からロシアの選手を発掘してきたリングスが、その舞台だった。
 
 リングスが設けたKOKルールは顔面へのパウンド(グラウンドでのパンチ)が禁止だったが、それでもヒョードルは圧倒的な強さを発揮する。ボディへのパウンドだけでもド迫力で、ある関係者は「リングサイドに響き渡るパンチの音だけでもモノが違う」と驚いていたのを覚えている。

 初出場から1年でヘビー級タイトルを獲得。2002年には無差別級のチャンピオンになると直後にPRIDEに活躍の場を移した。顔面パウンドという武器を得て、ヒョードルの強さは、さらに際立った。

 初陣からセーム・シュルト(オランダ)、ヒース・ヒーリング(米国)に圧勝すると“柔術マジシャン”と呼ばれたアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ(ブラジル)をも撃破してPRIDEヘビー級王者に。K-1から総合格闘技に転向、実績を積み上げてきていたミルコ・クロコップ(クロアチア)との大一番も付け入る隙を与えなかった。対戦相手に非情なまでの現実を叩きつける。それがヒョードルのスタイルだった。

 単に強いというだけでなく、記憶に残る試合も多かった。パンチでフラフラになりながらも逆転勝利を収めた藤田和之戦。UFCにも出場した実力派ケビン・ランデルマン(米国)との試合では豪快な投げによって頭から落とされたが、すかさずリカバリーして一本勝ち。小川直也を54秒で斬って捨てた試合も忘れ難い。
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