ひとたびリングを降りれば、常に温厚。穏やかな微笑が彼のトレードマークでもあった。ロシアで取材した際、新しい携帯端末を嬉しそうにいじっていた姿も思い出す。来日すると絶叫マシーンを楽しむのも恒例だった。そんな一面を持つヒョードルだからこそ、リングで見せる“恐さ”がより際立った。
2007年にPRIDEが活動休止になると、新たな活動拠点となったアメリカで試合を重ねた。当時、「最強」の名をほしいままにした“皇帝”の闘いぶりは、目の肥えたアメリカのファンも熱狂させた。
だが2010年、ファブリシオ・ヴェウドゥム(ブラジル)に予想外の一本負けを喫すると、2年後には引退を表明。そこから3年後にRIZINで復帰し、Bellatorにも参戦したが、アメリカでの闘いで負けが目立つようになると、今年2月にライアン・ベイダー(米国)とのリマッチに敗戦。事前の宣言通りにあらためて引退を発表した。
ロシアではスポーツ省の特別補佐官を務めたヒョードルは、ウラジミール・プーチン大統領が試合を観戦したことでも話題になった。彼は紛れもなく、ロシア・スポーツ界における大スター。にもかかわらず、46歳まで現役を続け、破竹の連勝も、ショッキングな連敗も経験。ファイターとしてのあらゆる姿をファンに見せ切ったのである。
ヒョードルは圧倒的な強さによって記録に残るファイターになったが、時折見せた切なさも含めて記憶に残るファイターでもあった。
取材・文●橋本宗洋
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ヒョードルは圧倒的な強さによって記録に残るファイターになったが、時折見せた切なさも含めて記憶に残るファイターでもあった。
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