競馬

【名馬列伝】波乱を呼び起こす個性派メジロパーマー。紆余曲折の競走馬生活だからこそ生まれた魅惑の逃走劇<後編>

三好達彦

2024.07.16

内側から強襲したレガシーワールドの猛追を抑え、メジロパーマーが有馬記念を逃げ切った。写真:産経新聞社

【前編より続く】

 新潟大賞典で逃げ切り勝利を収め、調教師の大久保正陽から「パーマーと手が合うようだから乗ってくれ」と宝塚記念(GⅠ)への騎乗依頼を受けた山田泰誠。不器用で生真面目な若きジョッキーと、それとは逆に気まぐれな競走馬は不思議なコンビネーションを醸し出しながら古馬中長距離路線の本道を歩むことになる。

 大久保のお墨付きで正式なコンビ結成となった彼らへのチャンスはすぐに訪れた。宝塚記念から強力なメジロの同窓、天皇賞(春)を圧勝したメジロマックイーンと、その舞台で煮え湯を飲まされた二冠馬トウカイテイオーの再戦と見られていたが、なんと2頭ともが骨折によって回避。出走するGⅠ馬がダイユウサク(有馬記念)とダイタクヘリオス(マイルチャンピオンシップ)の2頭だけとなり、例年に比べて小粒なメンバー構成となったのだ。

 とはいえ、メジロパーマーはGⅢのハンデ重賞を2つ勝っただけで、GⅠへの出走経験さえ天皇賞(春)の2回だけ。しかもその両方を勝ち馬から2秒以上も離される大敗を喫しているのだから、宝塚記念で彼が13頭立ての9番人気(オッズ23.1倍)という低評価しか得られなかったのは当然のことだろう。
 
 しかし、追い風もあった。阪神競馬場は1990年の夏から工事に入り、スタンドとコースを全面的に改修。1991年の11月からリニューアルされた新コースで競馬が行なわれたが、本馬場(芝馬場)に関しては芝の根付きが非常に悪く、例えば宝塚記念の同日に阪神で行なわれた第8レースの芝マイル戦(1500万下=3勝クラス)では、良馬場にもかかわらず1分39秒9という、あと少しで1分40秒に届かんとする信じ難い馬場状態となっていた。

 マスコミや競馬ファンの一部には、「この欧州並みの時計が出るタフな馬場ならば、馬が故障しにくいので歓迎だ」という声も上がっていたが、当時取材を進めていた筆者からすれば、それは誤解もいいところ。実際は、芝の張り替えの際に気温が上がりすぎたため、運ばれた芝は根が傷みかかったものが少なくなかった。

 そうした状態の悪い芝を張ったものだから、芝は馬場に根付かず、良馬場の日でも馬場が掘れでできる土塊がほうぼうで盛大に跳ね上がっていたというのが真実で、それが証拠に1992年の春シーズンを終えた後、阪神競馬場の芝は大幅に張り替えられている。
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