競馬

【名馬列伝】20年前、国内で唯一ディープインパクトに土をつけたハーツクライ。4歳秋から急成長で世界に挑戦も、突然襲った喉の“異変”

三好達彦

2025.01.11

無敗のディープインパクトに土をつけたハーツクライ(左)が有馬記念を勝った。写真:産経新聞社

「日本で唯一ディープインパクトに先着した馬」

 同じサンデーサイレンス産駒で、無敗の三冠馬ディープインパクトより1歳年上の俊才、ハーツクライに対して付けられたキャッチフレーズである。

 ディープインパクトを2着に降して勝利をもぎとった2005年の有馬記念(GⅠ)はあまりにも有名で、その衝撃の大きさから前記の惹句が用いられるわけだが、ハーツクライの3年に満たない競走生活を通してみると、ただの一発屋でなかったことは即座に分かる。というよりも、コツコツと力を付けて円熟期を迎えたにもかかわらず、病によって真の頂点に立つことなくターフを去った悲運の名馬と言うほうがより相応しいのではないか。筆者はそう思っている。

 父サンデーサイレンスが歴史的な成功を収めた大種牡馬であるのはもちろん、母アイリッシュダンスは新潟大賞典、新潟記念とGⅢを2勝した名牝。そして母の父トニービンも日本ダービー馬2頭(ウイニングチケット、ジャングルポケット)をはじめ、天皇賞馬エアグルーヴ、牝馬二冠のベガなど、9頭ものGⅠホースを出した名種牡馬であり、ハーツクライは得難い良血馬として2001年の4月15日に社台ファームで生を受けた。その名前は、アイルランドの音楽やダンスで構成された舞踊劇『リバーダンス』のなかの1曲、『ザ・ハーツ・クライ』(心の叫び)から取られたもので、母アイリッシュダンスからの連想によるものだった。

 1996年の菊花賞(GⅠ)を制したダンスインザダークなどで知られるトップステーブル、橋口弘次郎厩舎に預託されたハーツクライは3歳1月の新馬戦を快勝。続くきさらぎ賞(GⅢ)は3着に敗れるが、次走の若葉ステークス(OP)を勝って皐月賞(GⅠ)への出走権を得た。ここで5番人気に推されたもののGⅠの壁は高く、14着に大敗。仕切り直しとなった京都新聞杯(GⅡ)で初の重賞勝利を挙げたハーツクライは勇躍、日本ダービー(GⅠ)に参戦する。

 その道中、後方の17番手を進んだ彼は直線で豪脚を繰り出し、レコードタイムで駆け抜けたキングカメハメハには1馬身半差届かなかったものの2着に健闘。まだ馬体には幼さを残しながらも、良血の期待馬としての真価を垣間見せた。
 
 しかし稀有な俊才は、ここから長いトンネルに迷い込む。

 秋の始動戦となる神戸新聞杯(GⅡ)を3着とすると、クラシック三冠目の菊花賞(GⅠ)では1番人気に推されたが、持ち前の末脚が不発に終わって7着に敗れる。続くジャパンカップ(GⅠ)が10着、有馬記念(GⅠ)も9着と振るわないまま3歳シーズンを終える。

 4歳になっても大阪杯(GⅡ)が2着、春の天皇賞(GⅠ)が5着、宝塚記念(GⅠ)が2着となおも勝ち星から見離されたハーツクライは、鞍上を横山典弘騎手からクリストフ・ルメール騎手にスイッチして秋シーズンに臨む。それでも秋の天皇賞(GⅠ)は6着に終わったが、夏の休養でたくましく成長した愛馬の姿に調教師の橋口は本格化の手応えを感じていたと、のちに述べている。

 すると、続くジャパンカップでは後方から一気の追い込みを見せ、先に抜け出したフランキー・デットーリ騎乗の英国馬アルカセットをぐんぐんと追い詰め、馬体を並べてゴール。結果はハナ差の2着だったが、GⅠレース3勝のゼンノロブロイを3着に降したレースぶりは橋口が感じ取っていた感触に確信を抱かせるものとなった。

 そしてハーツクライは、いよいよ自身の名を満天下に知らしめる伝説の舞台、有馬記念へと駒を進める。
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中山競馬場が悲鳴と大きなため息に包まれた伝説の有馬記念