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競馬

【名馬列伝】「天馬」と讃えられる優駿を輩出したトウショウ牧場。名門の落日前に異彩を放った“破天荒キャラ”スイープトウショウの生涯

三好達彦

2025.02.02

05年の宝塚記念でスイープトウショウは低評価を覆し、39年ぶりの快挙を飾った。写真:産経新聞社

05年の宝塚記念でスイープトウショウは低評価を覆し、39年ぶりの快挙を飾った。写真:産経新聞社

 メディアに取り上げられる際、必ずと言っていいほど「名門」という枕詞付きで紹介されるトウショウ牧場。「天馬」と讃えられたトウショウボーイを送り出したことで知られる北海道・日高地区を代表する牧場が50年を超す歴史に終止符を打ち、かたや10年の時が経つ。その最後の輝きを放ったのが、GⅠレース3勝を挙げたスイープトウショウだった。

 当時フジタ工業(現・フジタ)の副社長で、のちに参議院議長を務める藤田正明が北海道・静内町(現・新ひだか町)の奥深くにある丘陵地に2年がかりの牧場を開いたのが1965年のこと。名前は藤田の姓と名から一文字ずつ取って『藤正牧場』とされ、のちに『トウショウ牧場』と変更され、その名は闘将とのダブルミーニングでもあったとされる。

 念願の牧場開場を果たした藤田は、年末に良質な繁殖牝馬を求めて渡米。ここで牧場を成功に導く1頭の名牝と出会う。米国で殿堂入りしたケルソ(Kelso)を出した名種牡馬ユアホスト(Your Host)を父に持つソシアルバターフライ(Social Butterfly)がその馬である。

 日本へ居を移したソシアルバターフライは次々と活躍馬、優秀な繁殖牝馬を送り出す。1967年生まれのトウショウピット(牡、父パーソロン)は中山記念など重賞を3勝。1972年生まれのソシアルトウショウ(牝、父ヴェンチア)はオークスで2着に入り、母としてエイティトウショウ(重賞4勝)、トウショウペガサス(重賞2勝)、トウショウサミット(NHK杯)、トウショウマリオ(重賞2勝)を産んだ。

 そして、当時のリーディングサイアーであるテスコボーイと配合されたソシアルバターフライは1972年、見目麗しい牡駒を出産する。それこそが、競走馬としてのみならず、種牡馬として日高地方にあまねく恵みを与えるトウショウボーイだった。
 
 トウショウボーイは雄大な馬体が生み出す豊かなスピードに恵まれ、有馬記念、皐月賞、宝塚記念とGⅠ級のレース3勝を含む通算15戦10勝を挙げる活躍を見せて、1976年のJRA賞年度代表馬に選出。種牡馬になってからは、初年度産駒こそ目立たなかったが、2年目の産駒からダイゼンキング(阪神3歳ステークス)、クラシック三冠を制覇したミスターシービーが出たことから人気が爆発。セリでの売却、庭先取引にかかわらず、トウショウボーイ産駒が軒並み高値で売れたことから、日高の中小生産者からは「お助けボーイ」と呼ばれるほどの存在となった。

 トウショウボーイは他にも、アラホウトク(桜花賞)、パッシングショット(マイルチャンピオンシップ)、サクラホクトオー(朝日杯3歳ステークス)、ダイイチルビー(安田記念、スプリンターズステークス)を送り出した。また、毎年トウショウボーイを所有の繁殖牝馬と配合していたトウショウ牧場はなかなか活躍馬に恵まれなかったが、1991年にシスタートウショウが桜花賞を制して、同年度のJRA賞最優秀4歳牝馬(現・3歳牝馬)に選出され、どうにか面目を保つことができた。

 しかしシスタートウショウの登場に沸いたのも束の間、トウショウ牧場は長期低落の波に飲み込まれていく。それは皮肉にも、牧場の基礎牝系であるソシアルバターフライ系に連なる馬たちの不振や血の行き詰まりによって引き起こされたものだった。

 そこでトウショウ牧場の三代目場長である志村吉男は繁殖牝馬の血統の更新を手始めに、土壌の改良や育成施設の充実にも着手。数年後から徐々に結果が出始めたなかで登場したのが、非ソシアルバターフライ系で、牧場のもうひとつの牝系であるチャイナトウショウ系に連なるタバサトウショウ(父ダンシングブレーヴ)を母とする牝馬で、父には大きな期待をもって米国から輸入されたエンドスウィープを持つスイープトウショウだった。
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