競馬

【名馬列伝】「和製ラムタラ」と称された“奇跡の馬“フサイチコンコルド。名伯楽が己の流儀を曲げ、生涯一度きりの大舞台で起こした53年ぶりの快挙

三好達彦

2025.03.09

13番のフサイチコンコルドが3番のダンスインザダークをかわし、日本ダービーを制した。写真:産経新聞社

 1995年、常識を覆す1頭の名馬が欧州の競馬シーンを席巻した。その名をラムタラという。

 1994年8月にデビューのリステッド競走(ニューベリー・芝7ハロン)を勝利したのち休養に入ったが、肺の感染症を患うなどして復帰はかなり遅れた。結局、戦列に戻ったのは1995年6月の英ダービー(G1、エプソム・芝12ハロン10フィート)まで待たねばならなかった。ここで奇跡が起きる。キャリアは7ハロンの短距離戦の1レースのみ、しかもレース間隔が10か月も空いていたラムタラが、最後の直線で一気の追い込みで優勝を果たしたのである。
【動画】音速の末脚一閃!デビュー3戦目で世代の頂点に立ったフサイチコンコルドの伝説レース

 奇跡はそれだけで終わらなかった。英ダービーから1か月半後に行なわれる古馬との混合戦、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス(G1、アスコット・芝12ハロン=約2406㍍)を制覇。さらに10月には、フランスの凱旋門賞(G1、ロンシャン・芝2400m)にも優勝。3歳にして、伝説的名馬ミルリーフが1971年に完遂して以来となる"欧州三大競走"の完全制覇を成し遂げ、日本でも「神の馬」という最上級の称号とともに紹介され、競馬ファンの間で大いに話題となった。

 その後、彼は日本の生産者グループによって購買され、北海道で種牡馬として供用されたのはご存知の通りだ。

 その翌年のこと。日本にも奇跡を起こし、「和製ラムタラ」と呼ばれる異色の名馬がターフを駆け抜けた。第63回日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)を制したフサイチコンコルドがその馬である。
 
 フサイチコンコルドは持込馬である母バレークイーン(父Sadler's Wells)がカーリアン(Caerleon)との仔を受胎した状態で輸入され、1993年に社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)で産み落とされたサラブレッドだ。

 早期から競走馬としての素質に恵まれたことが認められ、牧場期待の1頭とされたが、ひとつ問題があった。それは「逆体温」と呼ばれる特異な体質を持っていることだった。

 通常、サラブレッドの体温は午前中に38℃ぐらいあり、午後にはそこから2~3℃下がるものだが、フサイチコンコルドは午後に体温が上がってしまうため、思うような調整ができなかった。なおかつ、馬運車で輸送すると体温が上がる特徴もあり、コンディションの維持が極めて難しい体質の持ち主だった。

 共通の知人の紹介で会った馬主の関口房朗と戦国武将の話などで意気投合し、フサイチコンコルドを預かったのは栗東トレーニング・センターの小林稔。過去リーディングトレーナーに4度輝いている名伯楽だったが、その小林をもってしてもフサイチコンコルドの特異な体質「逆体温」には手を焼いた。順調なときには古馬をあおるような調教を見せるが、体温が上がりすぎるとトレーニングを控えなければならない。GⅠを狙えるほどの素質を持っているのは明らかなのに、思うようにことが運ばないのである。

 小林は丁寧に、そして慎重に馬を育てるタイプの調教師だった。中途半端な仕上げでレースに使うのを嫌ったため、出走数はとても少なかった。それでも優れた成績を残す腕利き、目利きであり、じっくり時が満ちるのを待つことができる、我慢強いトレーナーであった。その意味で、育てる側に我慢を強いるフサイチコンコルドが小林のもとに預けられたのは、まさに天の配剤だった。
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GⅠを狙える素質も特異な“体質”が悩みの種に