専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
モータースポーツ

佐藤琢磨のレース史|未来への扉を自らこじ開けていく“人間力”の高さ【インディカー編】

甘利隆

2020.09.24

2017年、アジア人ドライバーとして初のインディ500優勝を飾る。(C)Getty Images

2017年、アジア人ドライバーとして初のインディ500優勝を飾る。(C)Getty Images

 翌2014年は開幕戦セントピーターズバーグでポールポジションを獲得し、快調な滑り出しを見せたが、最高位は第17戦ソノマでの4位に。ポールポジション2回と時折速さを発揮したものの、シーズンを通して優勝、表彰台がなかった。トップ5フィニッシュも2回と全体に低調な成績で終わり、ランキングも前年をさらに下回る18位。インディ500でも19位完走と残念ながら見せ場を作ることはできなかった。

 続く2015年は第8戦デトロイトで2年振りとなる2位表彰台を獲得したものの、これが最高位でランキングは14位。だが、シボレー陣営が優勢の中、ホンダ勢トップのリザルトをたびたび収めていたこともあり、チームからの信頼は厚く、復調の兆しを見せた1年となる。インディ500でも13位完走と前の年よりも良い結果を収めた。

 しかし、ホンダ陣営は2016年も劣勢を強いられた。シングルグリッド獲得が3回、シングルフィニッシュが4回のランキング17位に終わり、インディ500でも26位完走と奮わなかった。また、チームがエンジンをシボレーにスイッチする事情もあり、ホンダとの関わりが深い佐藤は、オーナーのA.J.フォイトを除けば最長となる4年にわたって籍を置いたチームを去ることになった。
 
 ホンダ勢トップチームのアンドレッティ・オートスポーツに移籍した2017年、遂にその時は訪れる。8回目の挑戦となったインディ500では4番グリッドを獲得。スタートで出遅れ、その後のピット作業のミスもあり、決勝レース序盤は順位を下げたものの、ラスト10周からはエリオ・カストロネベスと熾烈なトップ争いを演じ、ラスト5周でトップに立ち、そのまま振り切った。

 日本人ドライバーの勝利は100年以上の歴史を誇るインディ500で初。(アジア人としても初)の快挙で、自身にとってはインディカー・シリーズ参戦124戦目にしてオーバルトラック初勝利となる。2012年、最終ラップのターン1に置いてきた“忘れ物”を取り戻した。

 この年は7回シングルフィニッシュする等、安定した成績を残し、ランキングも8位とここ数シーズンの苦境を跳ね返すような活躍を示した。
 

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号