試合でのポジションは、相手ディフェンスを切り裂き、トライを量産するフィニッシャーはもちろん、司令塔の役割を果たし、防御では最後尾まで下がり、ときにはスクラムハーフとしてボールのつなぎ役に徹することもあれば、体をはってスクラムを組むフッカーもやる、フォワード、バックスすべてにおけるユーティリティープレーヤーだ。
自らの役割を理解し、覚悟を決めた藤田がポイントとしてあげるのは、「世界一速く起きて、世界一速く動く」こと。チームとして掲げる「Bee Rugby」(ハチのように素早く動くラグビー)を率先して極めていく。
オリンピックが1年延期されたことにも「自分ではコントロールできないこと」とポジティブに話す藤田は、大きな目標を持って、地元開催の東京オリンピックに挑む。
「東京オリンピックはセブンズという競技を日本のみなさんに知ってもらえるチャンス。自分たちの試合を観ていただいて、一人でも多くの方々に感動や勇気を与えられるように最高の準備をして、全力でプレーして、メダルを獲得します」
文●宮崎俊哉
1962年8月5日、東京都台東区生まれ。
レスリング、格闘技、ラグビーを中心にスポーツを取材。アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロオリンピックを現地取材。日本代表選手を各大会50名以上インタビューする。日本全国津々浦々、世界90数か国・地域を飛び回るトラベルライターとしても活動。著書に『京子! アテネへの道』『ラグビーはこう見るのが楽しい』『相撲はこう見るのが楽しい』等がある。
自らの役割を理解し、覚悟を決めた藤田がポイントとしてあげるのは、「世界一速く起きて、世界一速く動く」こと。チームとして掲げる「Bee Rugby」(ハチのように素早く動くラグビー)を率先して極めていく。
オリンピックが1年延期されたことにも「自分ではコントロールできないこと」とポジティブに話す藤田は、大きな目標を持って、地元開催の東京オリンピックに挑む。
「東京オリンピックはセブンズという競技を日本のみなさんに知ってもらえるチャンス。自分たちの試合を観ていただいて、一人でも多くの方々に感動や勇気を与えられるように最高の準備をして、全力でプレーして、メダルを獲得します」
文●宮崎俊哉
1962年8月5日、東京都台東区生まれ。
レスリング、格闘技、ラグビーを中心にスポーツを取材。アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロオリンピックを現地取材。日本代表選手を各大会50名以上インタビューする。日本全国津々浦々、世界90数か国・地域を飛び回るトラベルライターとしても活動。著書に『京子! アテネへの道』『ラグビーはこう見るのが楽しい』『相撲はこう見るのが楽しい』等がある。