リーチはキャプテンを外れて負担が減り、自分のパフォーマンス向上につながっているのかもしれません。先日のアイルランド戦でスタメンを外れたのも、彼のメンタル面に刺激を与えたんだと思います。「パフォーマンスが落ちていたから代えた」と言ったジェレミーHCの判断は、いろんな意味で奏功したということでしょう。
サモア戦では福岡堅樹が2試合連続でトライしましたし、松島もこれで計4トライ。彼らがトライできているのは、チームメイトの頑張りの賜物です。内側の選手たちが相手を引き付けているから、外側にスペースが生まれ、福岡や松島がトライできています。そういった意味で言えば、チーム全体でトライを取りに行く、日本が目指すラグビーが表現されていると思います。
サモア戦では、少しメンバーを変えてくるかなと思っていたんですが、現状のベストメンバーを使うという姿勢は変わりませんでした。毎試合ベストメンバーを使っていく方針なのでしょう。おそらく次のスコットランド戦(13日)もトンプソン・ルークあたりが代わるくらいで、サモア戦とほぼ同じスタメンが並ぶのではないかと思います。
プール戦最後のスコットランド戦は、引き分け以上で予選突破が決まります。スコットランドはボーナスポイントを取らなければならいので、攻撃的なラグビーで来るでしょう。日本としては、それを想定して我慢しながら試合を進めていけば、勝機が見えてきます。スコットランドには前回大会で負けていますから、選手たちはリベンジという気持ちも持っているはずです。
第2戦でアイルランドに勝った日本が、スコットランドも倒してティア1に連勝すれば、本当に歴史に残るワールドカップになるでしょう。次の試合も勝ってほしいですね。
【PHOTO】日本 38-19 サモア|3連勝で初のW杯8強進出に王手!あの選手も笑顔で喜ぶ!
●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。
サモア戦では福岡堅樹が2試合連続でトライしましたし、松島もこれで計4トライ。彼らがトライできているのは、チームメイトの頑張りの賜物です。内側の選手たちが相手を引き付けているから、外側にスペースが生まれ、福岡や松島がトライできています。そういった意味で言えば、チーム全体でトライを取りに行く、日本が目指すラグビーが表現されていると思います。
サモア戦では、少しメンバーを変えてくるかなと思っていたんですが、現状のベストメンバーを使うという姿勢は変わりませんでした。毎試合ベストメンバーを使っていく方針なのでしょう。おそらく次のスコットランド戦(13日)もトンプソン・ルークあたりが代わるくらいで、サモア戦とほぼ同じスタメンが並ぶのではないかと思います。
プール戦最後のスコットランド戦は、引き分け以上で予選突破が決まります。スコットランドはボーナスポイントを取らなければならいので、攻撃的なラグビーで来るでしょう。日本としては、それを想定して我慢しながら試合を進めていけば、勝機が見えてきます。スコットランドには前回大会で負けていますから、選手たちはリベンジという気持ちも持っているはずです。
第2戦でアイルランドに勝った日本が、スコットランドも倒してティア1に連勝すれば、本当に歴史に残るワールドカップになるでしょう。次の試合も勝ってほしいですね。
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●大西将太郎 PROFILE●
1978年11月18日生まれ。大阪府東大阪市出身。現役時代はCTBとSOをこなせる万能型のバックスで、キックの名手としても知られた。布施ラグビースクール、啓光学園高、同志社大を経て、卒業後はワールドに入社。その後、06年からヤマハ発動機、09年から近鉄、13年から豊田自動織機でプレーし、ジャパンラグビートップリーグ(リーグ戦)では通算143試合に出場。07-08年シーズンには「ベスト15」、「得点王」、「ベストキッカー賞」の三冠に輝いた。日本代表には同志社大4年時(00年)に初選出され、通算33キャップ・71得点。07年ワールドカップ・フランス大会のカナダ戦では、終了直前に同点コンバージョンを決めて引き分け(12-12)に持ち込み、日本代表のワールドカップ連敗記録を13で止める立役者となった。 16年の現役引退後は、同志社大や立命館大でバックスコーチを務める。現在は解説者として、また19年ラグビーワールドカップの認知活動および、ラグビーの普及活動のため、全国を飛び回る日々だ。