一ノ瀬は、そもそも発信したいメッセージがあるからこそ、アスリートとしての知名度や発言力を求めたという。ならば、競技の成績が落ちることで発したメッセージが歪められるという恐れや、成績を残さなくてはという重圧を感じたことはないのだろうか?
一ノ瀬 「実は、食とパフォーマンスの関連を積極的に発信しなかった理由は、そこにあって」
日比野 「わたし、それすごくメイちゃんに聞きたいと思ってた」
一ノ瀬 「パフォーマンスが上がっていても、簡単に自己ベストがポンポン出るわけでもない。コロナで練習環境も変わっているのに、菜食が全面的に出ていると、タイムが落ちた時に『練習できなかったもんね』ではなく『お肉食べないからや』って言われてしまうだろうことは、容易に想像ができたので。プレッシャーを感じることはあるけれど、タイムが落ちたとしても菜食だけが理由ではないだろうし、そこをあまり結び付けないようにしています。
発信力に関しても、13歳からずっと日本記録を保持し、メディアに出る回数も増えてきたので、水泳がここまで連れてきてくれたという思いはあるけれど、今は、水泳がなくても私はやっていけるという思いもあって。やるからには結果にこだわるしタイムにコミットしているけれど、それがなくなったからといって、今の自分の影響力が逆戻りするかといったらそうではないし、水泳がだめでも他の手段を探していく。成績イコール発信力という期間は過ぎたのかなと思っています、今は」
日比野 「わたしと間逆な考え方だ……。わたしは、テニスで戦績さえ残せば自分の声を聞いてもらえるんじゃないかと思っていたので。水泳がなくなってもやっていける自信がついたのは、なんで?」
一ノ瀬 「私、高校生の時に英語のスピーチコンテストで障害について話して、全国優勝したのをきっかけに、メディアでもたくさん取り上げてもらえたの。リオ・パラリンピックの時も、私より成績がずっと上の人に比べてもメディア露出が多かったけど、そのことに引け目を感じて、結果も出ないのに取材だけされる自分がかっこ悪いと思ってたん。
でもそれを踏まえて今思うのは、結果が全てじゃないなぁって。結果で変わるならメダルを取った人の方が発言力あるはずなのに、そうはなってない。じゃあなんで自分の話には耳を傾けてもらえるのかなと思ったとき、スピーチコンテストをきっかけに、『この人には発言したいこと、発信したいメッセージがあるんだな』と思ってもらえたんだろうなって。もちろん結果は、アスリートである以上追い求めていかなくてはいけないけれど、アスリート以外の部分で自分に魅力があるというのは、恥ずかしがらなくていいんじゃないかと思ったら、意識が変わってきた」
一ノ瀬 「実は、食とパフォーマンスの関連を積極的に発信しなかった理由は、そこにあって」
日比野 「わたし、それすごくメイちゃんに聞きたいと思ってた」
一ノ瀬 「パフォーマンスが上がっていても、簡単に自己ベストがポンポン出るわけでもない。コロナで練習環境も変わっているのに、菜食が全面的に出ていると、タイムが落ちた時に『練習できなかったもんね』ではなく『お肉食べないからや』って言われてしまうだろうことは、容易に想像ができたので。プレッシャーを感じることはあるけれど、タイムが落ちたとしても菜食だけが理由ではないだろうし、そこをあまり結び付けないようにしています。
発信力に関しても、13歳からずっと日本記録を保持し、メディアに出る回数も増えてきたので、水泳がここまで連れてきてくれたという思いはあるけれど、今は、水泳がなくても私はやっていけるという思いもあって。やるからには結果にこだわるしタイムにコミットしているけれど、それがなくなったからといって、今の自分の影響力が逆戻りするかといったらそうではないし、水泳がだめでも他の手段を探していく。成績イコール発信力という期間は過ぎたのかなと思っています、今は」
日比野 「わたしと間逆な考え方だ……。わたしは、テニスで戦績さえ残せば自分の声を聞いてもらえるんじゃないかと思っていたので。水泳がなくなってもやっていける自信がついたのは、なんで?」
一ノ瀬 「私、高校生の時に英語のスピーチコンテストで障害について話して、全国優勝したのをきっかけに、メディアでもたくさん取り上げてもらえたの。リオ・パラリンピックの時も、私より成績がずっと上の人に比べてもメディア露出が多かったけど、そのことに引け目を感じて、結果も出ないのに取材だけされる自分がかっこ悪いと思ってたん。
でもそれを踏まえて今思うのは、結果が全てじゃないなぁって。結果で変わるならメダルを取った人の方が発言力あるはずなのに、そうはなってない。じゃあなんで自分の話には耳を傾けてもらえるのかなと思ったとき、スピーチコンテストをきっかけに、『この人には発言したいこと、発信したいメッセージがあるんだな』と思ってもらえたんだろうなって。もちろん結果は、アスリートである以上追い求めていかなくてはいけないけれど、アスリート以外の部分で自分に魅力があるというのは、恥ずかしがらなくていいんじゃないかと思ったら、意識が変わってきた」