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格闘技・プロレス

引きこもりの15歳が単身プエルトリコへ!新日本の異端児に憧れたハイビスカスみぃが歩んだ夢の時間までの“20年”

萩原孝弘

2022.03.15

男子と同じメニューを課せられて厳しかったというプエルトリコ時代。そこを耐え抜いた彼女は日本でも指折りの実力者となる。写真:萩原孝弘

男子と同じメニューを課せられて厳しかったというプエルトリコ時代。そこを耐え抜いた彼女は日本でも指折りの実力者となる。写真:萩原孝弘

「なんとしてもプロレスラーになる!」

 強い覚悟を抱いて到着したプエルトリコ。それは想像以上の苦労の毎日だった。「当たり前ですが練習はキツかったです。男子と女子も同じメニューだったし……。しかも私は一番若くて、付いて行くのもやっとで。気は利かないし、すぐに泣くし。ハッキリ言って落ちこぼれでした」と語る。

 涙を流し続けたレスラー修行。さらに「言葉の壁も大変でしたね。英語も街の方でしか通じないし、身振り手振りでなんとかやり過ごしていました」と日本とは全く違う環境にも苦しめられた。

 リタイアする仲間も現れる環境下で、歯を食いしばって鍛錬を続けたハイビスカスみぃは、2年後の1月4日にプエルトリコで「アップルみゆき」としてデビューを果たした。

「よくプロレスラーになれたなぁと思います。まぁ入寮したその日にパスポートとチケットを没収されたので、もうやるしかなかったっていうのもありますが。今振り返ると、どれもこれもいい経験ばかりですね」

 同年4月にはK-DOJOの旗揚げ戦で日本デビュー。その後は千葉に拠点を移したKAIENTAI DOJOに腰を据え、各団体を駆け回りベルトも奪取するなど、目覚ましい活躍を見せた。

 2018年には、K-DOJO退団を決意。長く活動するなかで、団体での方向性にも違和感を感じていたハイビスカスみぃは、「所属で守られている立場なのに、文句言うのってかっこ悪いなって思って。だったら自分でやろうと。それでダメなら諦めもつく」と不退転の決意でフリーランスへ転身した。

 己の実力で勝負する世界で「千葉や東京や大阪で、いろんな方にお世話になって戦い続けましたね。わたしは本当に人に恵まれてるなと思います。余裕は無いですが、バイトもせずプロレスだけでやっていけてましたしね」と、厳しいプロレス界の荒波も、持ち前のバイタリティで超え続けた。

 フリーランスで躍動するなかで、転機が訪れた。「グルクンさんから『沖縄で団体をやろうと思ってる』って声をかけてもらった時は運命だと思いました。ずっとフリーで寂しかったのもあるし、必要とされるのが嬉しかったんです」と、当時グルクンダイバー(現グルクンマスク)として活動していた男の挑戦に共感した。

「あとは一度沖縄においでと言われて遊びに行ったら、ありとあらゆるステキな場所に連れて行ってもらって、美味しいものを食べて、キレイな海を見て、帰る頃には、『もうここに住む!』ってなりました。見事に術中にハマりましたね」

 2013年、“アップルみゆき”から“ハイビスカスみぃ”とリングネームも変更。琉球ドラゴンプロレスリングの旗揚げメンバーとして参加した彼女は、いまも日本最南端のプロレス団体で、ヒールとしてリングを荒らす日々を送っている。
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