「なんとしてもプロレスラーになる!」
強い覚悟を抱いて到着したプエルトリコ。それは想像以上の苦労の毎日だった。「当たり前ですが練習はキツかったです。男子と女子も同じメニューだったし……。しかも私は一番若くて、付いて行くのもやっとで。気は利かないし、すぐに泣くし。ハッキリ言って落ちこぼれでした」と語る。
涙を流し続けたレスラー修行。さらに「言葉の壁も大変でしたね。英語も街の方でしか通じないし、身振り手振りでなんとかやり過ごしていました」と日本とは全く違う環境にも苦しめられた。
リタイアする仲間も現れる環境下で、歯を食いしばって鍛錬を続けたハイビスカスみぃは、2年後の1月4日にプエルトリコで「アップルみゆき」としてデビューを果たした。
「よくプロレスラーになれたなぁと思います。まぁ入寮したその日にパスポートとチケットを没収されたので、もうやるしかなかったっていうのもありますが。今振り返ると、どれもこれもいい経験ばかりですね」
同年4月にはK-DOJOの旗揚げ戦で日本デビュー。その後は千葉に拠点を移したKAIENTAI DOJOに腰を据え、各団体を駆け回りベルトも奪取するなど、目覚ましい活躍を見せた。
2018年には、K-DOJO退団を決意。長く活動するなかで、団体での方向性にも違和感を感じていたハイビスカスみぃは、「所属で守られている立場なのに、文句言うのってかっこ悪いなって思って。だったら自分でやろうと。それでダメなら諦めもつく」と不退転の決意でフリーランスへ転身した。
己の実力で勝負する世界で「千葉や東京や大阪で、いろんな方にお世話になって戦い続けましたね。わたしは本当に人に恵まれてるなと思います。余裕は無いですが、バイトもせずプロレスだけでやっていけてましたしね」と、厳しいプロレス界の荒波も、持ち前のバイタリティで超え続けた。
フリーランスで躍動するなかで、転機が訪れた。「グルクンさんから『沖縄で団体をやろうと思ってる』って声をかけてもらった時は運命だと思いました。ずっとフリーで寂しかったのもあるし、必要とされるのが嬉しかったんです」と、当時グルクンダイバー(現グルクンマスク)として活動していた男の挑戦に共感した。
「あとは一度沖縄においでと言われて遊びに行ったら、ありとあらゆるステキな場所に連れて行ってもらって、美味しいものを食べて、キレイな海を見て、帰る頃には、『もうここに住む!』ってなりました。見事に術中にハマりましたね」
2013年、“アップルみゆき”から“ハイビスカスみぃ”とリングネームも変更。琉球ドラゴンプロレスリングの旗揚げメンバーとして参加した彼女は、いまも日本最南端のプロレス団体で、ヒールとしてリングを荒らす日々を送っている。
強い覚悟を抱いて到着したプエルトリコ。それは想像以上の苦労の毎日だった。「当たり前ですが練習はキツかったです。男子と女子も同じメニューだったし……。しかも私は一番若くて、付いて行くのもやっとで。気は利かないし、すぐに泣くし。ハッキリ言って落ちこぼれでした」と語る。
涙を流し続けたレスラー修行。さらに「言葉の壁も大変でしたね。英語も街の方でしか通じないし、身振り手振りでなんとかやり過ごしていました」と日本とは全く違う環境にも苦しめられた。
リタイアする仲間も現れる環境下で、歯を食いしばって鍛錬を続けたハイビスカスみぃは、2年後の1月4日にプエルトリコで「アップルみゆき」としてデビューを果たした。
「よくプロレスラーになれたなぁと思います。まぁ入寮したその日にパスポートとチケットを没収されたので、もうやるしかなかったっていうのもありますが。今振り返ると、どれもこれもいい経験ばかりですね」
同年4月にはK-DOJOの旗揚げ戦で日本デビュー。その後は千葉に拠点を移したKAIENTAI DOJOに腰を据え、各団体を駆け回りベルトも奪取するなど、目覚ましい活躍を見せた。
2018年には、K-DOJO退団を決意。長く活動するなかで、団体での方向性にも違和感を感じていたハイビスカスみぃは、「所属で守られている立場なのに、文句言うのってかっこ悪いなって思って。だったら自分でやろうと。それでダメなら諦めもつく」と不退転の決意でフリーランスへ転身した。
己の実力で勝負する世界で「千葉や東京や大阪で、いろんな方にお世話になって戦い続けましたね。わたしは本当に人に恵まれてるなと思います。余裕は無いですが、バイトもせずプロレスだけでやっていけてましたしね」と、厳しいプロレス界の荒波も、持ち前のバイタリティで超え続けた。
フリーランスで躍動するなかで、転機が訪れた。「グルクンさんから『沖縄で団体をやろうと思ってる』って声をかけてもらった時は運命だと思いました。ずっとフリーで寂しかったのもあるし、必要とされるのが嬉しかったんです」と、当時グルクンダイバー(現グルクンマスク)として活動していた男の挑戦に共感した。
「あとは一度沖縄においでと言われて遊びに行ったら、ありとあらゆるステキな場所に連れて行ってもらって、美味しいものを食べて、キレイな海を見て、帰る頃には、『もうここに住む!』ってなりました。見事に術中にハマりましたね」
2013年、“アップルみゆき”から“ハイビスカスみぃ”とリングネームも変更。琉球ドラゴンプロレスリングの旗揚げメンバーとして参加した彼女は、いまも日本最南端のプロレス団体で、ヒールとしてリングを荒らす日々を送っている。