ちなみにセナ自身は、ラッツェンバーガーの死に大きな悲しみを抱き、翌日のレースでは彼にオーストリア国旗を振りながら勝利を捧げることを望んでいたということで、セナ自身が事故を起こした後、大破したウィリアムズのコクピットからは、畳まれたオーストリア国旗が見つかっている。
もちろん、この悲運のオーストリア人ドライバーを各国メディアが忘れ去ってしまったわけではなく、悲劇から28年後の今年4月30日も、多くのサイトではその思い出とともに、彼が後のF1に残したものに言及している。
【関連記事】F1第4戦・7位入賞の角田裕毅、顕著な進化に海外メディアも注目!「冷静さを失いがちなドライバー」の評価から「成長の好例」へ オランダのF1専門サイト『GPBLOG』は、米放送局『CNN』が「セナの葬式に参列しようと推定300万もの人々がサンパウロに詰めかけたのに対し、ラッツェンバーガーの場合はザルツブルクにやって来たのは約250人だった」と報じたことを紹介し、「このようにローランドの死は影に隠れてしまっているが、F1の世界で彼が忘れられることはない」と綴った。
そしてF1専門ラジオ『GRAND PRIX RADIO』は「1994年のイモラでの週末以降、F1は安全性に関して多くの対策を講じてきた。頭部と胴体の安全のために、コクピットのエッジを高くし、クラッシュテストも基準が厳しくなった。2003年からは頭部と首をサポートするHANSシステムが導入。こうした現在では必須の装備の導入は、ラッツェンバーガーのアクシデントに端を発した」と指摘。セナの死が、直接的な安全改革の要因なのは間違いないだろうが、ラッツェンバーガーの貢献も強調した。
一方、イタリアの全国紙『il Resto del Carlino』は、5月1日に2つの悲劇の舞台となった「アウトドモーロ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」で今年も追悼イベントが開催されたと報じ、事故現場であるタンブレロとヴィルヌーブ・カーブで献花が行なわれたという。ここでは、セナ、ラッツェンバーガーは“平等”に扱われたことは言うまでもない。
1982年のリカルド・パレッティの死亡事故から12年後に悪夢の週末が訪れ、さらにその20年後に鈴鹿でジュール・ビアンキが撤去作業中のクレーン車に突っ込んで後に死亡するなど、そのスパンは長くなりながらも、F1から悲劇はまだ失われておらず、同時に安全への追求は日々続いている。
構成●THE DIGEST編集部
もちろん、この悲運のオーストリア人ドライバーを各国メディアが忘れ去ってしまったわけではなく、悲劇から28年後の今年4月30日も、多くのサイトではその思い出とともに、彼が後のF1に残したものに言及している。
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そしてF1専門ラジオ『GRAND PRIX RADIO』は「1994年のイモラでの週末以降、F1は安全性に関して多くの対策を講じてきた。頭部と胴体の安全のために、コクピットのエッジを高くし、クラッシュテストも基準が厳しくなった。2003年からは頭部と首をサポートするHANSシステムが導入。こうした現在では必須の装備の導入は、ラッツェンバーガーのアクシデントに端を発した」と指摘。セナの死が、直接的な安全改革の要因なのは間違いないだろうが、ラッツェンバーガーの貢献も強調した。
一方、イタリアの全国紙『il Resto del Carlino』は、5月1日に2つの悲劇の舞台となった「アウトドモーロ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ」で今年も追悼イベントが開催されたと報じ、事故現場であるタンブレロとヴィルヌーブ・カーブで献花が行なわれたという。ここでは、セナ、ラッツェンバーガーは“平等”に扱われたことは言うまでもない。
1982年のリカルド・パレッティの死亡事故から12年後に悪夢の週末が訪れ、さらにその20年後に鈴鹿でジュール・ビアンキが撤去作業中のクレーン車に突っ込んで後に死亡するなど、そのスパンは長くなりながらも、F1から悲劇はまだ失われておらず、同時に安全への追求は日々続いている。
構成●THE DIGEST編集部