栗東トレーニング・センターの坂口正大厩舎に預託されたキングヘイローは当初、武豊を背にデビューする予定だったが、彼に先約が入っていたため、当時、まだデビュー2年目の福永祐一を鞍上に迎えることになった。
キングヘイローと福永は期待に応え、新馬戦から3連勝で東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ、東京・芝1800m)を制覇。一躍、翌年のクラシック候補の1頭に挙げられることになる。
しかしここから世界的良血馬とヤングジョッキーのコンビは苦闘を重ねることになる。翌98年のクラシックで、第一弾の皐月賞(GⅠ、中山・芝2000m)こそセイウンスカイの2着に健闘したものの、続く日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)では行きたがるキングヘイローを制御しきれずに暴走。逃げバテて2番人気という支持を裏切り、勝ったスペシャルウィークから2秒6も離された14着に大敗。福永はファンの厳しい非難の声にさらされた。
その後もなかなか勝ち鞍には恵まれなかったキングヘイローは、柴田善臣に手綱を託して99年の東京新聞杯(GⅢ、東京・芝1600m)と中山記念(GⅡ、中山・芝1800m)を連勝。未完の大器もいよいよ本格化かと思わせたが、続く春の安田記念(GⅠ、東京・芝1600m)から天皇賞・秋(GⅠ、東京・芝2000m)まで、また凡走を続けてしまう。
距離の使い分け、騎手の交代と、さまざまな試行錯誤がようやく実る兆しを見せたのは、その後に参戦したマイルチャンピオンシップ(GⅠ、京都・芝1600m)だった。再び福永祐一に手綱を戻して臨んだこの一戦。中団で折り合いをつけて進むと直線ではいったん先頭に立つ。結果としてエアジハードの強襲に屈して2着に敗れたものの、久々に持ち前のポテンシャルの高さを感じさせるレースを披露した。
続くスプリンターズステークス(GⅠ、中・芝1200m)でも最後方から一気の追い込みで3着に食い込んだキングヘイローに、陣営はマイル以下に照準を絞ってGⅠ獲りに向かう意思を固めた。
キングヘイローと福永は期待に応え、新馬戦から3連勝で東京スポーツ杯2歳ステークス(GⅢ、東京・芝1800m)を制覇。一躍、翌年のクラシック候補の1頭に挙げられることになる。
しかしここから世界的良血馬とヤングジョッキーのコンビは苦闘を重ねることになる。翌98年のクラシックで、第一弾の皐月賞(GⅠ、中山・芝2000m)こそセイウンスカイの2着に健闘したものの、続く日本ダービー(GⅠ、東京・芝2400m)では行きたがるキングヘイローを制御しきれずに暴走。逃げバテて2番人気という支持を裏切り、勝ったスペシャルウィークから2秒6も離された14着に大敗。福永はファンの厳しい非難の声にさらされた。
その後もなかなか勝ち鞍には恵まれなかったキングヘイローは、柴田善臣に手綱を託して99年の東京新聞杯(GⅢ、東京・芝1600m)と中山記念(GⅡ、中山・芝1800m)を連勝。未完の大器もいよいよ本格化かと思わせたが、続く春の安田記念(GⅠ、東京・芝1600m)から天皇賞・秋(GⅠ、東京・芝2000m)まで、また凡走を続けてしまう。
距離の使い分け、騎手の交代と、さまざまな試行錯誤がようやく実る兆しを見せたのは、その後に参戦したマイルチャンピオンシップ(GⅠ、京都・芝1600m)だった。再び福永祐一に手綱を戻して臨んだこの一戦。中団で折り合いをつけて進むと直線ではいったん先頭に立つ。結果としてエアジハードの強襲に屈して2着に敗れたものの、久々に持ち前のポテンシャルの高さを感じさせるレースを披露した。
続くスプリンターズステークス(GⅠ、中・芝1200m)でも最後方から一気の追い込みで3着に食い込んだキングヘイローに、陣営はマイル以下に照準を絞ってGⅠ獲りに向かう意思を固めた。