その後、函館スプリントステークス(GⅢ、函館・芝1200m)、セントウルステークス(GⅡ、阪神・芝1200m)を続けて2着に敗れると、再びGⅠのスプリンターズステークス(中山・芝1200m)に挑んだ。
単勝1番人気をカレンチャンに譲って、大外16番枠からの出走となったロードカナロアは中団を進むと、直線では外へ持ち出し、先に抜け出していたカレンチャンを3/4馬身かわして優勝。同厩のライバルにリベンジを果たすとともに、念願のGⅠタイトルを手に入れた。走破タイムの1分06秒7はコースレコードだった。
4歳シーズンを締め括るレースとして選んだのは、初の海外遠征となる香港スプリント(G1、シャティン・芝1200m)。『短距離王国』と呼ばれる香港にあって、このレースは日本のトップスプリンターにとっての鬼門で、それまでに挑戦した13頭は勝ち負けに持ち込むことさえできずに敗れ去っていた。
この年も、前年に本レースを圧勝していた香港馬のラッキーナイン(Lucky Nine)をはじめ、地元の精鋭が顔を揃え、日本が差し向けた刺客を待ち受けていた。
だが、世界の猛者相手でもロードカナロアの強さは際立った。
好位置でレースを進めると直線で難なく馬群を抜け出して先頭に躍り出たロードカナロアは、追撃する香港のセリースチェリー(Cerise Cherry)に2馬身半差を付けて完勝。ついに日本調教馬の前に立ちはだかっていた高い壁を突き破った。感激した調教師の安田隆行は、「(スプリント戦で)世界一のレースだと思っていたこのレースを勝てて夢のようです」と笑顔でコメントを残した。
5歳になっても、ロードカナロアの勢いは衰えることがなく、快進撃を続ける。13年2月の阪急杯(GⅢ、阪神・芝1200m)を圧勝すると、続く高松宮記念も中団からの差し切りで楽勝し、前年のリベンジを完遂した。
ここで陣営はロードカナロアを新しいステージへと送り出すことを決める。「引っ掛かる馬ではないし、充実した今なら勝負になる」と考え、競走生活で初めてとなるマイル戦・安田記念(GⅠ、東京・芝1600m)へチャレンジさせた。
単勝1番人気をカレンチャンに譲って、大外16番枠からの出走となったロードカナロアは中団を進むと、直線では外へ持ち出し、先に抜け出していたカレンチャンを3/4馬身かわして優勝。同厩のライバルにリベンジを果たすとともに、念願のGⅠタイトルを手に入れた。走破タイムの1分06秒7はコースレコードだった。
4歳シーズンを締め括るレースとして選んだのは、初の海外遠征となる香港スプリント(G1、シャティン・芝1200m)。『短距離王国』と呼ばれる香港にあって、このレースは日本のトップスプリンターにとっての鬼門で、それまでに挑戦した13頭は勝ち負けに持ち込むことさえできずに敗れ去っていた。
この年も、前年に本レースを圧勝していた香港馬のラッキーナイン(Lucky Nine)をはじめ、地元の精鋭が顔を揃え、日本が差し向けた刺客を待ち受けていた。
だが、世界の猛者相手でもロードカナロアの強さは際立った。
好位置でレースを進めると直線で難なく馬群を抜け出して先頭に躍り出たロードカナロアは、追撃する香港のセリースチェリー(Cerise Cherry)に2馬身半差を付けて完勝。ついに日本調教馬の前に立ちはだかっていた高い壁を突き破った。感激した調教師の安田隆行は、「(スプリント戦で)世界一のレースだと思っていたこのレースを勝てて夢のようです」と笑顔でコメントを残した。
5歳になっても、ロードカナロアの勢いは衰えることがなく、快進撃を続ける。13年2月の阪急杯(GⅢ、阪神・芝1200m)を圧勝すると、続く高松宮記念も中団からの差し切りで楽勝し、前年のリベンジを完遂した。
ここで陣営はロードカナロアを新しいステージへと送り出すことを決める。「引っ掛かる馬ではないし、充実した今なら勝負になる」と考え、競走生活で初めてとなるマイル戦・安田記念(GⅠ、東京・芝1600m)へチャレンジさせた。