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食と体調管理

「これからの時代はバレーボールの楽しさや魅力を一番に感じてプレーしてほしい」元バレーボール女子日本代表・狩野舞子が見つけたバレーボールの楽しさと競技生活を支えた食習慣

元川悦子

2024.06.03

写真:(C)SPORTS BIZ

写真:(C)SPORTS BIZ

――2008年2月の右足アキレス腱断裂はダメージが大きかったでしょうね。

 そうですね。まず筋肉が全部落ちてしまうので、ひざ下が腕かと思うくらい細くなってしまいました。日常生活も思うようにならないので本当に落ち込むことが多かったです。

 バレーボールはジャンプの競技なのに、飛ぶという動作も忘れてしまう。踏み切りも落下にしても、恐怖の連続でした。それを乗り越えてから、元の自分に戻すためのリハビリが本格化していくのですが、孤独だし、毎日同じメニューだし、どうしてもネガティブになってしまうんです。

 そんな時、眞鍋監督から「ムリヤリにでもポジティブに考えるようにしろ」と言われました。「いやいや、この状況じゃムリ」とは思いましたけど、「今でよかった」と。「あと1年、2年遅かったら、2012年のロンドン五輪に間に合ってないぞ」とも言われて、「なるほどな」と前向きになれました。

 起きたことを悔やんでもしょうがないから、プラスに考えて、次に生かすことの大切さを眞鍋監督から学ばせてもらいました。家族もチームメートも私を落ち込ませないように明るく接してくれましたし、そのおかげで復帰が早く感じられました。復帰できた時は本当に嬉しかったです。

――辛かった時間をどう乗り越えました?

 好きな音楽をガンガンかけて歌っていました(笑)。「Mr.Children」が大好きなので、もうとにかくミスチルをずっと聞いて泣くという感じでした。人生を救われた瞬間は何度もありました。

――2010年1月に左アキレス腱断裂という2度目の重傷を負い、そこから復帰して、すぐにイタリア行きに踏み切りました。

 まだ2回目の大ケガが完治していないうちにイタリア行きを決めました。「ロンドン五輪まであと2年」って考えた時に「このまま同じ状況にいていいのかな」と思い、まだリハビリ期間ではありましたが、環境変えたかったし、2年後の五輪を視野に入れて、外国人選手との対戦機会を増やしておきたいと思い、思い切って外に出ました。
 

写真:(C)SPORTS BIZ

――ご自身の変化は?

 いい意味で外国ナイズされたというか、帰ってから『外国人っぽくなったね』ってまず言われました(笑)。細かいことを気にしなくなったというのかな。
 やっぱり海外に行くと、日本の常識とは違うことが頻繁に起こります。練習時間や方法、生活など全てそうなんです。思い通りに行かない時、私は苛立つんじゃなくて、笑っちゃうようにしたんです。「これ、ウケる」って考えるようにしたというか。それですごくおおらかになった気がします。

 日本にいた頃は周りを気にして神経質になったり、どうにもならないことを家で考えたり悩んだりしがちだったので、いい意味で周りを気にしなくなったし、自分らしさが出てきたのかなと思います。

――バレーボールに関してはどうですか?

 シーズン通して大きな選手、パワーのある選手の球を受け続けたことは、間違いなくその後の代表活動に生きたと思います。

 トルコでは、サッカーで有名なベシクタシュというチームに所属していました。サッカーは凄まじい人気でしたし、バスケットボールチームもあったり、いろんな競技が同じクラブにあるのがプロのチームだと感じましたし、自分もそのベシクタシュを担っている一員だと思えて楽しかった。スポーツを通して熱狂的になる国民性からも学ぶことは多かったです。
 

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