専門5誌オリジナル情報満載のスポーツ総合サイト

  • サッカーダイジェスト
  • WORLD SOCCER DIGEST
  • スマッシュ
  • DUNK SHOT
  • Slugger
食と体調管理

「これからの時代はバレーボールの楽しさや魅力を一番に感じてプレーしてほしい」元バレーボール女子日本代表・狩野舞子が見つけたバレーボールの楽しさと競技生活を支えた食習慣

元川悦子

2024.06.03

写真:GettyImages

写真:GettyImages

――貴重な国際経験を武器に、ロンドン五輪メンバー入りを果たし、日本の28年ぶりのメダル獲得にも貢献できました。

 大会前に竹下さんがケガをして、不安もありましたし、チームとしてとても調子がよかったわけではなく、まずは目の前の試合を1つ1つ勝っていこうという気持ちでした。ですが、準々決勝の中国戦を前に、チームの状態も上がってきて「いけるんじゃないか」とみんなで話をしていました。中国にはそのシーズン、一度も勝ったことがなかったと思いますが、このチームなら勝てるという自信をみんなが持っていたし、一体感もありました。

 試合では、私は途中から入る役割で、中道瞳さんとのセットで2枚替えというのが多かったのですが、そこでなかなか活躍ができなくて。「私達、何もできてないね」と中道さんと落ち込んでいた時に、眞鍋さんから「2枚替えが機能してないのはお前たちだけじゃない。他のチームもそうだ」と言われて、少し周りの状況が見えるようになりました。
「気負いすぎずに、ここまで来たんだから思い切ってやりなさい」と練習から帰るワゴン車の中で声をかけてもらって、2人で号泣して吹っ切れて、それで挑んだ中国戦だったので、より前向きになれました。

――その中国に勝ち、準決勝でブラジルに敗れたものの、3位決定戦で韓国を下して、銅メダルを手にすることができました。

 大会を通して私は全然得点を取れていなかったので、五輪が終わってからも「ホントに自分は貢献できたんだろうか」と疑問に感じることもありました。ですが、メンバー12人の中で自分に何ができるかを毎日考えて過ごしていたのは確かでした。
「チームが勝つために何をすべきなのか」と日々模索し続けたし、あれほどフォア・ザ・チームを脳裏に焼き付けたことはなかった。そういう意味では、どこかで自分を必要としてもらえたのかなと。そう思ってもらえたら嬉しいですね。

 コートの外では、チームの盛り上げ役という役割を担当してる意識はありました。「ベンチが強いチームは勝てる」とも言われますが、控えメンバーがレギュラーと同じ気持ちでいられるかどうかはすごく大事。それをロンドン五輪で学ぶことができました。
 

写真:(C)SPORTS BIZ

――その後、久光に復帰し、セッター転向を決意しました。

 五輪後にすぐ「セッターに転向しないか」と久美さんに勧められて、3シーズンやらせてもらいました。もともとアタッカーだった自分がすぐセッターなんてできるわけではないと分かっていましたが、期待に応えたい思いもあり、焦りもあって、、自分自身を物凄く追い詰めていたなと感じます。

 セッターの3年間は、バレー人生の中でも一番、自分と向き合った時間だと思います。それくらい毎日毎日、バレーボールのことを考えて、思い詰めすぎて、バレーボールが嫌いになりそうだったんです。試合にもあまり出られず、「1回、バレーボール離れよう」と思って、いったんは競技をやめるという選択をしました。

――そこから復帰に至る過程は?

 ずっとバレーボールから離れて生活していたんですが、「やっぱりバレーボールがすごく好きだな」とだんだん感じるようになったんです。実際、いろんなカテゴリーの試合も見に行っていました。「このままやめて後悔しないですか」と自分自身に問いかけた時に「いや、後悔するだろう」と思い、「最後はスパイカーやりたい」という気持ちも高まってきて、「1年間、ブランクあるけど、もう1回、一緒にスパイカーとして頑張ろう」と声をかけてくれたPFUブルーキャッツに行くことを決めました。

 もちろん実戦復帰までの流れは簡単ではありませんでした。1年間、プレーしていないと体もなまるし、感覚もほぼない。もともとケガが多いので、まずはフィジカル強化を1から取り組んでいき、本当にしんどかったんですが、トレーナーの方と二人三脚で取り組んでいき、徐々に試合に出られる状態になりました。最後の2年間に栄養や体の改造といった部分に興味を持てたのもあって、引退直後にアスリートフードマイスターの資格を取ることにもつながりました。

――PFUでの最後の2年間は?

 それまでの自分は心底、バレーボールを楽しんだことがなかった。「期待に応えたい」とか「誰かのため」といった感情が優先していました。でも最後は「自分自身がバレーボールという競技を楽しんで終わりたい」と強く思い、丸2年間、痛いところがありつつも「楽しいな」と心から思えた時間でした。最終的にはひざがダメで引退したんですが、後悔なく終えることができ、PFUブルーキャッツには本当に感謝していますね。
 

ホクト『きのこらぼ』では、次世代の選手へのエールや一問一答、今食べたい「きのこレシピ」など狩野さんのインタビューを限定公開中!

RECOMMENDオススメ情報

MAGAZINE雑誌最新号