1993年、4歳となったレガシーワールドは始動戦のアメリカJCC(GⅡ)を逃げたホワイトストーンの2着としたが、2度目の骨折が判明した。秋まで休養に入るが、その間に彼を見初めた戸山が闘病の末、ガンで死去。レガシーワールドは戸山厩舎で調教助手を務め、戸山がレガシーを視察する現場にも同行していた森秀行(栗東)のもとへ転厩することとなった。
復帰戦は10月の京都大賞典(GⅡ)だった。それまでは戸山厩舎に所属する小谷内秀夫が主戦として騎乗していたが、このレースからは河内洋が手綱をとることになった。ここをメジロマックイーンの2着としたレガシーワールドは、前年4着だったジャパンカップへと駒を進めた。
1993年のジャパンカップはハイレベルな外国馬が続々と参戦。米G1を5勝しているコタシャーン、凱旋門賞(仏G1)を制して臨んできたアーバンシー、凱旋門賞とキングジョージ(英GⅠ)で2着の経験を持つホワイトマズルが名乗りを上げると、迎える日本側もダービー馬ウイニングチケット、天皇賞馬ライスシャワー、グランプリホースのメジロパーマーらが顔を揃えた。錚々たる面々のなか、レガシーワールドは単勝オッズ12.5倍の6番人気だった。
このレースでレガシーワールドはそれまでに積み上げた経験値を最大に活かし、一世一代の快走を披露する。逃げるメジロパーマーの直後につけたレガシーワールドは折り合いを欠くこともなく、スムーズに流れに乗ってレースを進め、最後の直線へ向いて鞍上のゴーサインを受ける。
すると、じりじりと伸びながら坂の途中で先頭に立ち、ひたすらゴールを目指す。外からはコタシャーンが追い込んでくるが、手綱をとるケント・デザーモがラスト100mの標識を誤認してか、いったん腰を上げる。そして異変に気が付いたデザーモが再び追い始めるが、先に抜け出したレガシーワールドに1馬身1/4差まで迫るにとどまった。このゴールは、JRAで初めてせん馬がGⅠ競走を制した瞬間であった。
デザーモの「ゴール誤認」というスキャンダラスな出来事があったため、レース後の合同記者会見では物議を醸すような問答があった。英国の名物記者であるジョン・マクリリックが「コタシャーンはデザーモがゴールを間違えたから負けたと思いますが、あなた方はどう感じていますか」と不躾な質問をぶつけた。すると日頃、温厚な人柄で知られる河内が激昂する。「それはとても失礼な言い方だ。デザーモが普通に乗っていても、レガシーワールドは勝っていた」と怒気を含んだ声で厳しく反論。会場はしばし水を打ったようにシーンと静まり返った。
さて、その後のレガシーワールドは屈腱炎を発症してからまったく精彩を欠くようになり、1勝もできずに1996年の宝塚記念(GⅠ、8着)を最後に現役を引退。生まれ故郷である北海道・静内町のへいはた牧場で功労馬として余生を過ごし、2021年の8月に老衰で死亡した。32歳という大往生だった。
文●三好達彦
【動画】国内トップ、海外強豪馬を蹴散らす快走...レガシーワールドが魅せた一世一代の伝説レース
【記事】【名馬列伝】“遅咲き”のマイル女王ノースフライト 現役1年半で深く鮮やかな爪痕をターフに残した稀有な名牝の飛翔
復帰戦は10月の京都大賞典(GⅡ)だった。それまでは戸山厩舎に所属する小谷内秀夫が主戦として騎乗していたが、このレースからは河内洋が手綱をとることになった。ここをメジロマックイーンの2着としたレガシーワールドは、前年4着だったジャパンカップへと駒を進めた。
1993年のジャパンカップはハイレベルな外国馬が続々と参戦。米G1を5勝しているコタシャーン、凱旋門賞(仏G1)を制して臨んできたアーバンシー、凱旋門賞とキングジョージ(英GⅠ)で2着の経験を持つホワイトマズルが名乗りを上げると、迎える日本側もダービー馬ウイニングチケット、天皇賞馬ライスシャワー、グランプリホースのメジロパーマーらが顔を揃えた。錚々たる面々のなか、レガシーワールドは単勝オッズ12.5倍の6番人気だった。
このレースでレガシーワールドはそれまでに積み上げた経験値を最大に活かし、一世一代の快走を披露する。逃げるメジロパーマーの直後につけたレガシーワールドは折り合いを欠くこともなく、スムーズに流れに乗ってレースを進め、最後の直線へ向いて鞍上のゴーサインを受ける。
すると、じりじりと伸びながら坂の途中で先頭に立ち、ひたすらゴールを目指す。外からはコタシャーンが追い込んでくるが、手綱をとるケント・デザーモがラスト100mの標識を誤認してか、いったん腰を上げる。そして異変に気が付いたデザーモが再び追い始めるが、先に抜け出したレガシーワールドに1馬身1/4差まで迫るにとどまった。このゴールは、JRAで初めてせん馬がGⅠ競走を制した瞬間であった。
デザーモの「ゴール誤認」というスキャンダラスな出来事があったため、レース後の合同記者会見では物議を醸すような問答があった。英国の名物記者であるジョン・マクリリックが「コタシャーンはデザーモがゴールを間違えたから負けたと思いますが、あなた方はどう感じていますか」と不躾な質問をぶつけた。すると日頃、温厚な人柄で知られる河内が激昂する。「それはとても失礼な言い方だ。デザーモが普通に乗っていても、レガシーワールドは勝っていた」と怒気を含んだ声で厳しく反論。会場はしばし水を打ったようにシーンと静まり返った。
さて、その後のレガシーワールドは屈腱炎を発症してからまったく精彩を欠くようになり、1勝もできずに1996年の宝塚記念(GⅠ、8着)を最後に現役を引退。生まれ故郷である北海道・静内町のへいはた牧場で功労馬として余生を過ごし、2021年の8月に老衰で死亡した。32歳という大往生だった。
文●三好達彦
【動画】国内トップ、海外強豪馬を蹴散らす快走...レガシーワールドが魅せた一世一代の伝説レース
【記事】【名馬列伝】“遅咲き”のマイル女王ノースフライト 現役1年半で深く鮮やかな爪痕をターフに残した稀有な名牝の飛翔




