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ゴルフ場でサッカーボールを蹴る新競技!フットゴルフ日本代表・小林隼人の大きな夢

手嶋真彦

2021.01.25

現役のJリーガーや、彼らを応援するサポーターとの出会いで、小林のフットゴルフとの向き合い方は変化した。(C)Ganador.inc

現役のJリーガーや、彼らを応援するサポーターとの出会いで、小林のフットゴルフとの向き合い方は変化した。(C)Ganador.inc

 次回の第4回フットゴルフ・ワールドカップは、日本で開催されることが決まっている。もともと20年9月末の開幕が予定されていた大会は、コロナの影響で1年延期となった。すでにワールドカップ日本大会の出場権を獲得している小林は、日本フットゴルフ協会の掲げる「優勝」というミッションを踏まえながら、「3日目を終えた時点で10位にいること」を個人目標として掲げている。「具体的で、頑張れば手が届く目標を掲げたほうが、自分はいい成績を得られやすい」と、分かってきたからだ。

 前回の18年ワールドカップで3位に入ったのは、元プロサッカー選手のロベルト・アジャラだった。アルゼンチン代表で116キャップを刻んだCBは、サッカーのワールドカップでも98年、02年、06年の3大会にエントリーされている。アジャラに限らず、世界トップクラスのフットゴルファーは、キックの精度が高く、ハートも強い。

 ワールドカップへの再挑戦を見据える前から、小林が高めようと心掛けてきたひとつにプレーの再現性がある。以前と同じようなシチュエーションを迎えた時、記憶のデータベースから過去の成否を引っ張り出せたら、より成功確率の高いキックを選択できる。

 記憶のデータベースを構築していくには、通常のショットはもちろん、池越えなどの難所、バンカーを含めた危機脱出、さらにはギャンブルショットまで、目の前の1打を「この方向に」「この強さで」蹴ると意識的に決め、実行に移し、なぜうまくいき、なぜうまくいかなかったかを検証する作業も必要だ。

 ゴルフで避けなければならないプレーのひとつに「とりあえずショット」と呼ばれるものがある。いざショットしようとして、握っているのが最適の種類のクラブでないと気付いていながら、別のクラブに交換する手間が面倒で、とりあえず打ってしまう。

 小林がフットゴルフで「とりあえずショット」を蹴ってしまうのは、本来キックの選択に集中すべき時間を、余計な思念に奪われているからだ。地面の傾斜も、芝の深さも、風向きも、その他の状況も深く考えずに蹴ってみて、たしかに結果オーライとなる場合はある。しかし、その一連のプレーを未来には活かせない。いくつもの可能性をしっかり読んだうえで、「この方向に」「この強さで」と意識的に決めて蹴っていないので、キックの良し悪しを検証できないからだ。

 あれを再現したいと、小林が試行錯誤しているのは、優勝した18年アジアカップの最終日だ。首位と2打差の2位でスタートし、前半の9ホールが終わった時点で差は3打差に広がっていた。ところが後半の9ホールは、これがゾーンに入った理想の状態かと思えるほど、明鏡止水のような心持ちで自分のプレーに集中できて、結局その日だけで6アンダーを叩き出し、逆転優勝を果たしていた。
 
 19年の小林は不振に陥った。勝てない試合が続くと、疑問も湧いてくる。
〈いったい俺は、何のためにフットゴルフをやっているんだろう?〉
 仕事をしながら、平日の夜間や休日もフットゴルフのために時間を作り、年に1~2回の海外遠征では自腹を切る。大会で優勝していた頃は、勝利の喜びが競技を続けていく大きなモチベーションとなっていた。勝てなくなって、進路を見失いかけていたのかもしれない。

 進むべき方角を照らし出してくれたのが、「いつも一緒にいる相棒みたいな」と小林が表現するサッカーだ。ちょうどその頃、小林はJリーグの選手やファンと交流するようになっていた。共通の知人を介して知り合ったJリーガー、京都のGK加藤順大(当時は大宮に所属)、大宮のMF黒川淳史(当時は水戸)、湘南のMF三幸秀稔(当時は山口)と、18年の暮れにフットゴルフをラウンドしたのをきっかけとして、小林はフットゴルフとの向き合い方を見直すようになる。

 3人が所属するクラブのサポーターたちとも交流を深めるようになり、やがて小林は気がついた。勝利を追求する先には、勝利とはまた別の価値がある――。それは応援し、応援されるという関係から生み出されている価値だった。

 応援しているチームが負けると、熱心なサポーターは当然悔しがる。負け続ければ、悔しさも膨らんでいく。しかし、負け続けた分だけ、次の勝利の喜びはより大きなものとなって返ってくる。長い目で見れば、真剣勝負の先にある喜怒哀楽が、応援するサポーターたちの人生を豊かにしている――。そんなふうに考えているうちに、小林は負けることへの恐怖から解放され、より純粋に勝利を追求できるようになっていた。

 視野が広がると、小林の意識はフットゴルフという競技の普及にも向くようになった。競技人口が増え、裾野が広がり、頂点が高くなれば、フットゴルフ自体の価値が高まり、勝利の喜びもさらに大きなものとなるだろう。フットゴルフを応援してくれる人が増えていけば、いつかJリーグと同じようにフットゴルファーがサポーターに支えられて、サポーターを幸せにできる日も訪れるかもしれない。

    ◆    ◆    ◆

 小林は幼稚園で始めたサッカーを、中学校でも高校でも大学でも続けた。社会人サッカーでは、将来のJリーグ入りを目指しているクラブでもプレーした。しかし、心の中ではいつしか悟っていた。

〈俺はきっとJリーガーにはなれない〉

 近頃はこう思う。現役のフットボーラーのなかには、プロにはなれないと悟っていたかつての自分のような選手が、たくさんいるのではないか。そうであるなら、小林はこう伝えたい。

「Jリーガーになれなかった人も新しい夢を追いかけられて、熱い真剣勝負を続けられる。そこもフットゴルフのいいところだと思います」

 フットゴルフの大会には「一般の部」に加えて「シニアの部(46歳以上)」と「女子の部」がある。年齢性別を問わず、いつまでも熱中できて、小林のように年齢を重ねてからでも世界一を目指せる新しいスポーツ――。「いつも一緒にいる相棒が増えたようです」と小林が形容するフットゴルフは、大きな可能性に満ちあふれている。(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦

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