その後、ライスシャワーは長いトンネルに迷い込む。同年の秋から順調さを欠いて、故障のため翌94年の天皇賞・春への出走も叶わず、1995年の日経賞までほぼ1年、勝ち星に見放された。
ミホノブルボンは菊花賞のあとの故障で復帰は叶わず、メジロマックイーンもすでにターフを去って種牡馬入りしていた。
誰もがライスシャワーもこれまでかと思うなかで迎えたのが2年ぶりの出走となる天皇賞・春。彼は乾坤一擲の走りを見せる。
前哨戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)を勝った三冠馬ナリタブライアンが故障で出走を回避したため、本命不在と言われるなか、4番人気となったライスシャワーは中団を追走。スローな流れでレースは進むが、ここで手綱をとる的場は掟破りの積極策で勝負に出る。第3コーナーの手前から愛馬を押し上げて一気に先頭を奪うロングスパートを仕掛けたのだ。
虚を突かれた他馬を尻目に、ライスシャワーは懸命にゴールへ向かって疾駆する。そこへ後続が一気に殺到し、その中から大外を回って脚を伸ばしたステージチャンプがぐんぐんと差を詰め、内外に分かれてライスシャワーとほぼ同時にゴール。長い写真判定を経て、電光掲示板の1着に上がった馬番は「3」、ライスシャワーがハナ差で勝利をつかみ取っていた。その差は10㎝ほどだったという。
この日、三度目のGⅠ制覇、古豪と呼ばれる7歳にしてライスシャワーは初めて満場の拍手と祝福の声援を浴びた。ようやく「ヒール」の看板を下ろした瞬間だった。
天皇賞・春での感動的な復活劇を受けてファン投票で1位となったライスシャワーは、阪神・淡路大震災の影響で従来の阪神競馬場から彼の得意とする京都競馬場で行われることになった宝塚記念への出走に踏み切る。
そこで悲劇は起こった。
第3コーナーすぎに自らハミをとって進出を開始したところで突然前のめりになると、そのあと崩れ落ちるように転倒し、騎手の的場は馬場へ投げ出された。誰の目にもライスシャワーがただならぬ災厄に襲われたことを悟った。
左前肢に脱臼や粉砕骨折という治療が困難な重傷を負ったライスシャワーは、事故現場に急遽張られた幕の向こうで安楽死の処置がとられた。
センチメンタリズムに陥って、過剰に評価を高めることは戒めるべきだろう。だが、それを分かったうえでもなお、ライスシャワーが最後の2走で刻み付けた「勝利と死」というコントラストは、その極端さゆえに、当時を生きた競馬ファンの記憶から消し去ることが難しいものとなっていった。
(文中敬称略/後編・了)
文●三好達彦
【名馬列伝】京都に咲き、京都に散ったライスシャワー。宿敵の三冠を阻んだ菊花賞はいかなるレースだったのか?<前編>
【名馬列伝】坂路で鍛え上げられた“逃げ馬”ミホノブルボン。デビュー戦は致命的な出遅れも10頭以上を一気に――[前編]
【名馬列伝】“坂路の申し子”ミホノブルボンの強烈な輝き! 「無敗のダービー馬」はなぜ悲劇的な敗戦を喫したのか?[後編]
ミホノブルボンは菊花賞のあとの故障で復帰は叶わず、メジロマックイーンもすでにターフを去って種牡馬入りしていた。
誰もがライスシャワーもこれまでかと思うなかで迎えたのが2年ぶりの出走となる天皇賞・春。彼は乾坤一擲の走りを見せる。
前哨戦の阪神大賞典(GⅡ、阪神・芝3000m)を勝った三冠馬ナリタブライアンが故障で出走を回避したため、本命不在と言われるなか、4番人気となったライスシャワーは中団を追走。スローな流れでレースは進むが、ここで手綱をとる的場は掟破りの積極策で勝負に出る。第3コーナーの手前から愛馬を押し上げて一気に先頭を奪うロングスパートを仕掛けたのだ。
虚を突かれた他馬を尻目に、ライスシャワーは懸命にゴールへ向かって疾駆する。そこへ後続が一気に殺到し、その中から大外を回って脚を伸ばしたステージチャンプがぐんぐんと差を詰め、内外に分かれてライスシャワーとほぼ同時にゴール。長い写真判定を経て、電光掲示板の1着に上がった馬番は「3」、ライスシャワーがハナ差で勝利をつかみ取っていた。その差は10㎝ほどだったという。
この日、三度目のGⅠ制覇、古豪と呼ばれる7歳にしてライスシャワーは初めて満場の拍手と祝福の声援を浴びた。ようやく「ヒール」の看板を下ろした瞬間だった。
天皇賞・春での感動的な復活劇を受けてファン投票で1位となったライスシャワーは、阪神・淡路大震災の影響で従来の阪神競馬場から彼の得意とする京都競馬場で行われることになった宝塚記念への出走に踏み切る。
そこで悲劇は起こった。
第3コーナーすぎに自らハミをとって進出を開始したところで突然前のめりになると、そのあと崩れ落ちるように転倒し、騎手の的場は馬場へ投げ出された。誰の目にもライスシャワーがただならぬ災厄に襲われたことを悟った。
左前肢に脱臼や粉砕骨折という治療が困難な重傷を負ったライスシャワーは、事故現場に急遽張られた幕の向こうで安楽死の処置がとられた。
センチメンタリズムに陥って、過剰に評価を高めることは戒めるべきだろう。だが、それを分かったうえでもなお、ライスシャワーが最後の2走で刻み付けた「勝利と死」というコントラストは、その極端さゆえに、当時を生きた競馬ファンの記憶から消し去ることが難しいものとなっていった。
(文中敬称略/後編・了)
文●三好達彦
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