当時、すでにアイドルホースとして絶大な人気を誇っていたクロフネが天皇賞に登録を行ない、賞金順18番目でギリギリ出走可能だと思われていた。そこへ、アグネスデジタル陣営が登録すると、賞金で下回るクロフネが枠から弾き出されてしまうからだ。
ときは「世紀末覇王」と呼ばれ、GⅠ6勝をマークするテイエムオペラオーの“一強時代”。陣営には、一部ファンから「どうせ勝負にならない」「出しても意味がない」「クロフネへの嫌がらせか」というような心無い批判がぶつけられたという。
レースは正攻法の先行策に出たテイエムオペラオーが直線であっさりと抜け出し、これで勝負あったと思われた刹那、大外から猛追する栗毛が1頭現れる。アグネスデジタルだ。一完歩ごとに差を詰めると、テイエムオペラオーをゴール寸前で交わして1馬身差で快勝。批判の声を一蹴する走りで見事な戴冠を果たしたのだった。
その後、アグネスデジタルは12月の香港国際デーに遠征。すると、香港ヴァーズをステイゴールドが、香港マイルをエイシンプレストンが制したのに続き、アグネスデジタルは香港カップ(いずれもG1)を優勝。現地のマスコミに「ジャパン・デーだった」と報じられるほど快挙の一翼を担った。
翌年は砂のフェブラリーステークス(GⅠ)を勝ち、地方を含めたGⅠ4連勝を達成した。その後は勝ち鞍に恵まれなかったが、2003年6月8日の安田記念(GⅠ)で中団後方から目の覚めるような末脚を繰り出し、アドマイヤマックスをクビ差交わして優勝。しかもレコードを叩き出す快走で、またも多くのファンを驚かせた。
これを最後に勝ち星を挙げることはできなかったが、2003年末のGⅠ有馬記念(結果は9着)まで、アグネスデジタルは懸命に走り続けた。
同馬が、いかに波乱万丈な競走生活を送ってきたか。彼が現れるまで、真の「二刀流」「オールラウンダー」は存在せず、まさに唯一無二のスーパーホースだった。「死後まで最後まで、よう分からん馬やったなぁ」ととぼけて見せたが、それは調教師・白井寿昭の慧眼が生み出した快挙でもあった。(文中敬称略)
文●三好達彦
【動画】元祖二刀流・アグネスデジタルの天皇賞・秋をチェック
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ときは「世紀末覇王」と呼ばれ、GⅠ6勝をマークするテイエムオペラオーの“一強時代”。陣営には、一部ファンから「どうせ勝負にならない」「出しても意味がない」「クロフネへの嫌がらせか」というような心無い批判がぶつけられたという。
レースは正攻法の先行策に出たテイエムオペラオーが直線であっさりと抜け出し、これで勝負あったと思われた刹那、大外から猛追する栗毛が1頭現れる。アグネスデジタルだ。一完歩ごとに差を詰めると、テイエムオペラオーをゴール寸前で交わして1馬身差で快勝。批判の声を一蹴する走りで見事な戴冠を果たしたのだった。
その後、アグネスデジタルは12月の香港国際デーに遠征。すると、香港ヴァーズをステイゴールドが、香港マイルをエイシンプレストンが制したのに続き、アグネスデジタルは香港カップ(いずれもG1)を優勝。現地のマスコミに「ジャパン・デーだった」と報じられるほど快挙の一翼を担った。
翌年は砂のフェブラリーステークス(GⅠ)を勝ち、地方を含めたGⅠ4連勝を達成した。その後は勝ち鞍に恵まれなかったが、2003年6月8日の安田記念(GⅠ)で中団後方から目の覚めるような末脚を繰り出し、アドマイヤマックスをクビ差交わして優勝。しかもレコードを叩き出す快走で、またも多くのファンを驚かせた。
これを最後に勝ち星を挙げることはできなかったが、2003年末のGⅠ有馬記念(結果は9着)まで、アグネスデジタルは懸命に走り続けた。
同馬が、いかに波乱万丈な競走生活を送ってきたか。彼が現れるまで、真の「二刀流」「オールラウンダー」は存在せず、まさに唯一無二のスーパーホースだった。「死後まで最後まで、よう分からん馬やったなぁ」ととぼけて見せたが、それは調教師・白井寿昭の慧眼が生み出した快挙でもあった。(文中敬称略)
文●三好達彦
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