その後も、同年の有馬記念(GⅠ、中山・芝2500m)で三冠馬ナリタブライアンの2着、翌年のジャパンカップでランド(ドイツ)に次ぐ2着と、牡馬と互角以上の戦いを演じた。だが一方で、1996年のエリザベス女王杯では2位に入線したものの、斜行によって他馬の進路を妨害したことから7着に降着となる残念なレースもあった。
そうした中でもヒシアマゾンは、1993年の最優秀3歳牝馬に続き、翌年は最優秀4歳牝馬、翌々年には最優秀5歳以上牝馬のビッグタイトルを手にしていった。
1997年も現役を続行する予定だったヒシアマゾンだったが、調教過程で右前肢に浅屈腱炎を発症していることが判明し、引退・繁殖入りが決定。日本でヒシマサルとの牡馬を出産したのち、米国のテイラーメイドファームへ出国。繁殖生活を送ったのち、2019年4月に老衰のため28歳で没した。
外国産馬へのクラシックレースの開放が進んでいたら、ヒシアマゾンの運命はまったく別のものになっていた可能性が高く、今でもそう認識しているファンが多いのも確かである。しかし、彼女にとっては不自由なレース選択が強いられた中で、その逆境に抗ったがゆえに強烈な印象を刻んでくれたのではないかと、筆者は思う。まぎれもなくヒシアマゾンは、90年代を代表する名牝の1頭である。(文中敬称略)
文●三好達彦
【動画】「豪脚の女傑」ヒシアマゾンの伝説レースをプレイバック
そうした中でもヒシアマゾンは、1993年の最優秀3歳牝馬に続き、翌年は最優秀4歳牝馬、翌々年には最優秀5歳以上牝馬のビッグタイトルを手にしていった。
1997年も現役を続行する予定だったヒシアマゾンだったが、調教過程で右前肢に浅屈腱炎を発症していることが判明し、引退・繁殖入りが決定。日本でヒシマサルとの牡馬を出産したのち、米国のテイラーメイドファームへ出国。繁殖生活を送ったのち、2019年4月に老衰のため28歳で没した。
外国産馬へのクラシックレースの開放が進んでいたら、ヒシアマゾンの運命はまったく別のものになっていた可能性が高く、今でもそう認識しているファンが多いのも確かである。しかし、彼女にとっては不自由なレース選択が強いられた中で、その逆境に抗ったがゆえに強烈な印象を刻んでくれたのではないかと、筆者は思う。まぎれもなくヒシアマゾンは、90年代を代表する名牝の1頭である。(文中敬称略)
文●三好達彦
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