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競馬

【名馬列伝】「スピードの絶対値が他の馬と違う」小島太が舌を巻いた国内初の“スプリント王者”サクラバクシンオー。日本競馬屈指といえる快足馬の軌跡

THE DIGEST編集部

2025.03.02

 3歳春の目標だったニュージーランドトロフィー4歳ステークス(現ニュージーランドトロフィー、GⅢ)を7着に敗れたのち、秋もオープンのマイル戦を2連敗したものの、芝1400mのキャピタルステークス(OP)を快勝。3歳ながら3番人気に推されたスプリンターズステークスは3番手に控えたが、結果としては超ハイペースに巻き込まれる形で失速し、強烈な追い込みで勝利したニシノフラワーに0秒6差の6着に終わった。ちなみにこのレースは、サクラバクシンオーの競走生活を通じて、1400m以下のレースで唯一の敗戦となった。

 4歳になった1993年、脚部不安によって春を全休したサクラバクシンオーは、10月に復帰してオープン戦を3走。1着、4着、1着として、前年に苦杯を舐めたスプリンターズステークスに参戦した。この年は安田記念(GⅠ)2連覇を果たし、距離を延ばした天皇賞・秋(GⅠ)も制したヤマニンゼファーに1番人気を譲った。しかしメンタルの成長を見せた彼は、ハイペースの3番手を折り合って追走。直線に入って、ほぼ持ったままで先頭に立つと、追いすがろうとするヤマニンゼファーと前年の覇者ニシノフラワーを突き放し、2着のヤマニンゼファーに2馬身半差を付けて圧勝。念願のビックタイトルを手にし、スプリント戦線で王座に就いたことを強く印象付けた。そしてこれは、サクラユタカオー産駒で初のGⅠ勝利となった。

 このスプリンターズステークスは、鞍上の小島太にとって特に思い入れが強いレースだった。それはレースの8日前、小島が「おやじ」と読んで慕っていたオーナーの全演植氏が亡くなったからだった。勝利を手向けの花とした小島は記者に対して、「絶対に勝たなくちゃいけない、絶対に負けられないと思っていた。これまでで最高の仕事ができた。おやじにありがとうと言いたい」と感慨深げに語ったという。
 
 サクラバクシンオーの現役時代、現在の高松宮記念(GⅠ、芝1200m)は、まだその前身の高松宮杯(GⅡ、芝2000m)として施行されており、春シーズンに芝1200mのGⅠは存在しなかった。そのためスプリンターは不本意でも目標をマイルの安田記念に置かざるを得ない状況にあった。そのため5歳となった彼は、ダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ、芝1200m)を制したのち安田記念、ノースフライトの4着となったところで春シーズンを閉めた。

 秋は始動戦の毎日王冠(GⅡ、芝1800m)を4着で終えると、スワンステークス(GⅡ、芝1400m)に臨戦。ここでノースフライトを1馬身1/4差で退けて安田記念のリベンジを果たすが、続くマイルチャンピオンシップ(GⅠ、芝1600m)ではノースフライトの差し脚に屈して2着。マイルのカテゴリーで頂点に立つことは許されなかった。

 そして迎えたのが、ラストランのスプリンターズステークス。サクラバクシンオーはこの檜舞台で生涯最高の走りを見せる。手綱を抑えたままで4番手を進み、直線でゴーサインを出されると瞬く間に後続を突き放し、ラストは馬なりで余裕のゴール。レコードタイムで2着には4馬身(0秒7)もの差を付け、スプリント絶対王者との絶賛を受けて、自ら引退の花道を飾ったのだった。
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