のちに小島太にインタビューした際、サクラバクシンオーについてこう語った。
「バクシンオーはスピードの絶対値が他の馬とは違っていた。1200mでも、2000mでユタカオーに乗るように、じっくり(脚を)ためていけば能力の違いで勝てるんだ」
そして、「バクシンオーのスピードは間違いなくユタカオーから受け継いだものだ」と言葉を継いだ。
数々のオファーを受けた末、サクラバクシンオーはサンデーサイレンスやトニービンが繋養されえていた社台スタリオンステーションで種牡馬入り。現役時代に見せた圧倒的なスピード能力で内国産馬としては異例の人気を博して初年度から100頭を超える繁殖牝馬を集め、最盛期の2002年には種付頭数が151頭にも達した。
その中からはショウナンカンプ(高松宮記念)、グランプリボス(NHKマイルカップ、朝日杯フューチュリティステークス)、ビッグアーサー(高松宮記念)と平地でGⅠホース3頭を送り出し、平地重賞勝ち馬(統一グレードを含む)は前記の3頭を含めて数多く輩出した。
サクラバクシンオーはGⅠを2勝しかできなかったが、当時は国内にスプリントGⅠがひとつしかなく、のちにロードカナロアが連覇することになる※香港スプリント(GⅠ、芝1200m)も創設される前だった(※1999年から2005年までは直線・芝1000mで施行)。彼がもし2000年代以後に現れていたら…と、今もつい夢想してしまう。
それでも、サクラバクシンオーが日本で初めて「スプリント王者」の称号を得た馬だったという栄光は、今もって色あせることなく輝いている。
文●三好達彦
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「バクシンオーはスピードの絶対値が他の馬とは違っていた。1200mでも、2000mでユタカオーに乗るように、じっくり(脚を)ためていけば能力の違いで勝てるんだ」
そして、「バクシンオーのスピードは間違いなくユタカオーから受け継いだものだ」と言葉を継いだ。
数々のオファーを受けた末、サクラバクシンオーはサンデーサイレンスやトニービンが繋養されえていた社台スタリオンステーションで種牡馬入り。現役時代に見せた圧倒的なスピード能力で内国産馬としては異例の人気を博して初年度から100頭を超える繁殖牝馬を集め、最盛期の2002年には種付頭数が151頭にも達した。
その中からはショウナンカンプ(高松宮記念)、グランプリボス(NHKマイルカップ、朝日杯フューチュリティステークス)、ビッグアーサー(高松宮記念)と平地でGⅠホース3頭を送り出し、平地重賞勝ち馬(統一グレードを含む)は前記の3頭を含めて数多く輩出した。
サクラバクシンオーはGⅠを2勝しかできなかったが、当時は国内にスプリントGⅠがひとつしかなく、のちにロードカナロアが連覇することになる※香港スプリント(GⅠ、芝1200m)も創設される前だった(※1999年から2005年までは直線・芝1000mで施行)。彼がもし2000年代以後に現れていたら…と、今もつい夢想してしまう。
それでも、サクラバクシンオーが日本で初めて「スプリント王者」の称号を得た馬だったという栄光は、今もって色あせることなく輝いている。
文●三好達彦
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