CTB中村亮土は、南アフリカとの間にあった「差」を、こんな風に語っている。
「優勝を目標にしている南アは、どこかで余裕を持ちながらプール戦を突破してきたと思う。必死にもがいて突破したチーム(日本)との差というか、疲労感の違いは感じた」
つまりは、プール戦の初戦でぶつかり、世紀のジャイアントキリングの餌食とした4年前の南アフリカと、負ければ終わりのノックアウトステージで戦ったこの日の南アフリカは、明らかに別物だったということだ。すべてを出し尽くしてベスト8に勝ち上がった疲労困憊の日本には、すでにトーナメントを戦い抜く余力も余裕も残されていなかったのかもしれない。
スクラムで歯が立たず、ブレイクダウンで終始劣勢を強いられ、マイボールラインアウトも何度となく失った。結局、ノートライに抑え込まれたが、3ー26というスコア以上に力の差を見せつけられた印象が強い。
福岡がピッチに横たわり、山中が、ベテランの田中史朗が、田村に代わって48分から司令塔を務めた松田力也が泣いている。そして、田村も──。
「間違いなく史上最強で、史上最高のチーム。負けたことより、(このチームでの戦いが)終わってしまった悲しさのほうが大きかった」
それでも、胸を張っていい。顔を上げていい。プール戦で3勝を挙げながら、決勝トーナメントに進めなかった前回大会から4年。日本ラグビーは自国開催の今大会で、とてつもなく大きな一歩を踏み出したのだから。ティア1の底力をまざまざと見せつけられた、このたったひとつの敗戦で、輝かしい5週間の価値が色褪せることも、もちろん4年間のたゆまぬ努力が帳消しになることもない。試合終了後も鳴り止まなかったサポーターの温かい拍手が、すべてを物語っているだろう。
この日を最後に代表から引退する38歳のトンプソンルークは言った。
「こういうスコアになったけど、みんな最後まで戦い抜いた。誇れる仲間がいて、誇れる試合になった。僕は引退するけど、きっと次のジェネレーションは(この大会の日本を見て)自信を持ってプレーできると思う」
未来への種は、確かに蒔かれた。ジェイミー・ジャパンのセンセーショナルで刺激的な冒険は幕を閉じたが、しかし日本ラグビーはここからふたたび、さらなる高みを目指して冒険を始めるのだ。ハーフタイムに痛み止めの注射を2、3本打ち、試合後も時おり表情を歪ませていた田村が、こう言って少しだけ微笑んだ。
「苦しい時代を支えてくれた先輩方がいて、あれだけの結果を残しながらベスト8に行けなかった2015年がある。しっかりと段階を踏んでここまで来られた。プール戦を突破してからの課題は、次の世代に託したい」
奇しくも日本ラグビーの発展に寄与したレジェンドのひとり、平尾誠二氏の命日だったこの日──。脈々と受け継がれてきた楕円球という名のバトンは、また新たな歴史を築き上げてくれるであろう次世代の冒険者たちに、力強く手渡されたのだ。
取材・文●吉田治良(スポーツライター)
「優勝を目標にしている南アは、どこかで余裕を持ちながらプール戦を突破してきたと思う。必死にもがいて突破したチーム(日本)との差というか、疲労感の違いは感じた」
つまりは、プール戦の初戦でぶつかり、世紀のジャイアントキリングの餌食とした4年前の南アフリカと、負ければ終わりのノックアウトステージで戦ったこの日の南アフリカは、明らかに別物だったということだ。すべてを出し尽くしてベスト8に勝ち上がった疲労困憊の日本には、すでにトーナメントを戦い抜く余力も余裕も残されていなかったのかもしれない。
スクラムで歯が立たず、ブレイクダウンで終始劣勢を強いられ、マイボールラインアウトも何度となく失った。結局、ノートライに抑え込まれたが、3ー26というスコア以上に力の差を見せつけられた印象が強い。
福岡がピッチに横たわり、山中が、ベテランの田中史朗が、田村に代わって48分から司令塔を務めた松田力也が泣いている。そして、田村も──。
「間違いなく史上最強で、史上最高のチーム。負けたことより、(このチームでの戦いが)終わってしまった悲しさのほうが大きかった」
それでも、胸を張っていい。顔を上げていい。プール戦で3勝を挙げながら、決勝トーナメントに進めなかった前回大会から4年。日本ラグビーは自国開催の今大会で、とてつもなく大きな一歩を踏み出したのだから。ティア1の底力をまざまざと見せつけられた、このたったひとつの敗戦で、輝かしい5週間の価値が色褪せることも、もちろん4年間のたゆまぬ努力が帳消しになることもない。試合終了後も鳴り止まなかったサポーターの温かい拍手が、すべてを物語っているだろう。
この日を最後に代表から引退する38歳のトンプソンルークは言った。
「こういうスコアになったけど、みんな最後まで戦い抜いた。誇れる仲間がいて、誇れる試合になった。僕は引退するけど、きっと次のジェネレーションは(この大会の日本を見て)自信を持ってプレーできると思う」
未来への種は、確かに蒔かれた。ジェイミー・ジャパンのセンセーショナルで刺激的な冒険は幕を閉じたが、しかし日本ラグビーはここからふたたび、さらなる高みを目指して冒険を始めるのだ。ハーフタイムに痛み止めの注射を2、3本打ち、試合後も時おり表情を歪ませていた田村が、こう言って少しだけ微笑んだ。
「苦しい時代を支えてくれた先輩方がいて、あれだけの結果を残しながらベスト8に行けなかった2015年がある。しっかりと段階を踏んでここまで来られた。プール戦を突破してからの課題は、次の世代に託したい」
奇しくも日本ラグビーの発展に寄与したレジェンドのひとり、平尾誠二氏の命日だったこの日──。脈々と受け継がれてきた楕円球という名のバトンは、また新たな歴史を築き上げてくれるであろう次世代の冒険者たちに、力強く手渡されたのだ。
取材・文●吉田治良(スポーツライター)