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NBA

NBAがABAを吸収合併した“理由”と言われた男、史上最高選手の1人“ドクターJ”アービング【NBAレジェンド列伝・後編】

出野哲也

2020.12.05

NBAがABAを吸収合併したのは、アービングを獲得するためだけが理由だったとも噂されている。(C)Getty Images

NBAがABAを吸収合併したのは、アービングを獲得するためだけが理由だったとも噂されている。(C)Getty Images

■ABA、NBA両方での 優勝を達成した偉大な男

 1973−74シーズンには、当時ニューヨークが本拠だった(現ブルックリン)ネッツに移籍して優勝に貢献したジュリアス・アービング。同年から3年連続MVP、1976年のABAファイナルではデンバー・ナゲッツ相手に平均37.7点をあげ、2度目のファイナルMVPに輝く。同年のオールスターでのダンクコンテストでは、フリースローラインから跳び上がってのダンク“レーンアップ”を決め、新たな伝説を書き加えた。

 ところが、ABAはテレビ中継がほとんどなかったため、実際に彼のプレーを観たことがある者は少なかった。真の意味でアービングが全国区の人気を得るのは、1976年にABAとNBAが合併してからのこと。人気低迷に苦しんでいたNBAが、アービングを獲得するためだけに合併したのだと人々は噂した。
 
 ネッツはナゲッツなどとともにNBAへの加盟が認められたが、同じニューヨークに本拠地を置くニックスのフランチャイズを侵害するという理由で、途方もない加盟金を要求される。それに応じることのできる方法はただひとつ、アービングを高値で売ることだった。こうして、移籍金300万ドルでアービングはフィラデルフィア・セブンティシクサーズのユニフォームを着ることになった。

 NBA1年目で早速ファイナル進出を果たすも、ビル・ウォルトン擁するポートランド・トレイルブレイザーズに2連勝の後4連敗。1980年もロサンゼルス・レイカーズとのファイナル第4戦で、今も語り草となっている“ベースライン・ムーブ” ――ジャンプしながらブロックをかわしつつ、バックボードの反対側から腕を回転させて決めたリバースレイアップ――を披露。マジック・ジョンソンが「今のをもう一回見せてくれと頼もうかと思った」と感激したほどの神業だったが、シリーズ自体はそのマジックの活躍によって敗れた。

 1980-81シーズンにはMVPも受賞したが、移籍後の6年間でファイナルでの敗退が3回。ディフェンスが優れていないことや、チームメイトを叱咤したりしない点がリーダーとしては物足りないとの声も聞かれた。そうした評判を跳ね返すためには、どうしても優勝しなければならなかった。
 
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