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ダンカンとのツインタワーで悲願のリーグ制覇。“真の勝者”として現役生活を終えた提督ロビンソン【レジェンド列伝・後編】<DUNKSHOOT>

出野哲也

2023.10.05

NBAで優勝できずにいたロビンソンだが、ダンカン(左)との出会いがキャリアのターニングポイントになった。(C)Getty Images

NBAで優勝できずにいたロビンソンだが、ダンカン(左)との出会いがキャリアのターニングポイントになった。(C)Getty Images

「軟弱者」という評価を覆した2度のNBA優勝

 初のシーズンMVPを受賞して挑んだ1995年のプレーオフ、ロビンソン率いるスパーズはデンバー・ナゲッツ、ロサンゼルス・レイカーズを下してカンファレンス決勝に進出。念願のファイナルは目の前だった。

 ところが、第6シードから勝ち上がってきた前年王者のヒューストン・ロケッツに足をすくわれる。ロビンソンは平均23.8点をあげたものの、フィールドゴール成功率44.9%と振るわなかったのに対し、マッチアップ相手のアキーム・オラジュワンには平均35.3点、FG成功率56.0%といいようにやられてしまった。

「崖から突き落とされたような気分だった。これほど短い時間で、絶頂から奈落への転落を味わうとは……」。

 MVPのブライドはズタズタに引き裂かれ、「数字は残すが、ここ一番で頼りにならない選手」との汚名を着せられることになった。

 とりわけロビンソンを口汚く罵ったのはロッドマンだった。「オラジュワンとの対戦前、あいつはロッカールームで怖がって震えていた」「年俸800万ドルももらってるんなら、それなりの仕事をしやがれ」「スパーズの選手たちだって、陰じゃあいつの悪口を言ってるさ」
 
 ヘッドコーチのボブ・ヒルが「私がデイビッドだったら、あの男を殴り殺していた」と憤慨するほどの罵詈雑言だったが、それでもロビンソンは「デニスは内気な男なんだ。 本心で言っているとは思わない」とロッドマンを庇った。それでまた「そんなお人好しだから勝てないんだ」と言われてしまう始末。軟弱なイメージを払拭するには、どうしてもチャンピオンリングが必要だった。

 96年はアトランタ五輪でドリームチームⅢの一員として2個目の金メダルを獲得する。だが、その余勢を駆って臨もうとした96-97シーズンは、腰痛と左足の負傷で出場わずか6試合。大黒柱を欠いたスパーズは20勝しかできなかった。

 しかしながら、この自己最悪のシーズンが最高の結果を生む。ドラフト1位指名権が手に入ったことで、ティム・ダンカンを獲得できたのだ。激しい自己主張をすることなく、その代わり仕事は完璧にこなすダンカンは、スパーズのチームカラーにぴったりの選手だった。ロビンソンとの相性も抜群に良かった。

 彼らツインタワーのプレースタイルは重なる部分もあったが、ダンカンの実力を認めたロビンソンが一歩退いてサポート役に回り、すべての歯車が噛み合った。
 
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