ジャイアンツ黄金時代の幕開けとともに始まった2010年代は、ナショナルズ史上初の世界一で幕を閉じた。幾多のスター選手がくれたいくつもの感動を、シーズン毎に振り返る。今回は2010年から14年までを振り返る。
▼2010年
【ワールドチャンピオン】
サンフランシスコ・ジャイアンツ(56年ぶり6回目)
【主な出来事】
▶ドラフトでブライス・ハーパーがワシントン・ナショナルズから全体1位指名される(6月)
▶ニューヨーク・ヤンキースの元オーナー、ジョージ・スタインブレナー死去(7月)
▶イチロー(マリナーズ)が史上初の10年連続200安打(9月)
▶サンフランシスコ・ジャイアンツが56年ぶりの世界一(11月)
1月、1998年にサミー・ソーサと本塁打レースを繰り広げたマーク・マグワイアが、現役時代のステロイド使用を認めて謝罪。「打高投低時代」の象徴だったマグワイアのこの行動が呼び水となったか、この年は2度の完全試合を含めて何と6度のノーヒッターが記録され、誤審による完全試合未遂も起きるなど「The Year of the Pitcher(投手の年)」と呼ばれた。スティーブン・ストラスバーグ、アロルディス・チャップマンの両剛腕がメジャーデビューして旋風を巻き起こしたのもこの年だ。
シンデレラチームが多いシーズンでもあった。ア・リーグ東地区はヤンキース、レッドソックスを抑えてレイズが地区優勝。ナ・リーグ中地区ではレッズが15年ぶりの優勝を果たし、シーズン終盤まで三冠王争いを演じたジョーイ・ボトーがMVPに輝いた。ジャイアンツではマディソン・バムガーナーとバスター・ポージーの両ルーキーが台頭。1958年のサンフランシスコ移転後初のワールドチャンピオンに輝き、黄金時代の幕を開けた。オールスターではナ・リーグが14年ぶりに勝利。イチローはメジャー1年目からの連続200安打を10年連続としたが、結果的にこの年が打率3割を記録した最後のシーズンとなった。
▼2011年
【ワールドチャンピオン】
セントルイス・カーディナルス(5年ぶり11回目)
【主な出来事】
▶バスター・ポージー(ジャイアンツ)が本塁でのクロスプレーで重傷(5月)
▶デレク・ジーター(ヤンキース)が通算3000安打を本塁打で達成(7月)
▶トニー・ラルーサ監督(カーディナルス)が勇退(10月)
▶FAとなったアルバート・プーホルスがロサンゼルス・エンジェルスへ移籍(12月)
ワイルドカードが各リーグ1枠だった最後の年で、その枠をめぐるエンターテインメントが繰り広げられた。両リーグとも、シーズン最終戦を迎えた時点でワイルドカード争いが未決着。しかも、どちらも有利だった球団が9回に追いつかれて逆転負けを喫し、追う側のチームがポストシーズン進出を決めた。特にレッドソックスがオリオールズ相手に9回裏に逆転負けを喫し、レイズがヤンキース戦で7点ビハインドから9回2死からの代打同点弾で追いつき、12回裏にエバン・ロンゴリアのサヨナラ弾で大逆転勝利を手にした流れは「球史で最もスリリングな129分」と評された。
前年に続いて投手優位な傾向が続き、両リーグで投手三冠が誕生。ア・リーグはジャスティン・バーランダー(タイガース)が投手19年ぶりのMVPを受賞した。また、この年は時代の曲がり角でもあった。世界一に輝いたカーディナルスからは、ワールドシリーズで1試合3本塁打を放ったアルバート・プーホルスがFAとなり、名将トニー・ラルーサ監督も勇退して有終の美を飾った。一方、5年連続地区優勝中のフィリーズは、地区シリーズで敗退した試合で主砲ライアン・ハワードがアキレス腱を断裂。これを機に王朝の衰えが顕在化し、長い低迷期へ入っていく。
▼2010年
【ワールドチャンピオン】
サンフランシスコ・ジャイアンツ(56年ぶり6回目)
【主な出来事】
▶ドラフトでブライス・ハーパーがワシントン・ナショナルズから全体1位指名される(6月)
▶ニューヨーク・ヤンキースの元オーナー、ジョージ・スタインブレナー死去(7月)
▶イチロー(マリナーズ)が史上初の10年連続200安打(9月)
▶サンフランシスコ・ジャイアンツが56年ぶりの世界一(11月)
1月、1998年にサミー・ソーサと本塁打レースを繰り広げたマーク・マグワイアが、現役時代のステロイド使用を認めて謝罪。「打高投低時代」の象徴だったマグワイアのこの行動が呼び水となったか、この年は2度の完全試合を含めて何と6度のノーヒッターが記録され、誤審による完全試合未遂も起きるなど「The Year of the Pitcher(投手の年)」と呼ばれた。スティーブン・ストラスバーグ、アロルディス・チャップマンの両剛腕がメジャーデビューして旋風を巻き起こしたのもこの年だ。
シンデレラチームが多いシーズンでもあった。ア・リーグ東地区はヤンキース、レッドソックスを抑えてレイズが地区優勝。ナ・リーグ中地区ではレッズが15年ぶりの優勝を果たし、シーズン終盤まで三冠王争いを演じたジョーイ・ボトーがMVPに輝いた。ジャイアンツではマディソン・バムガーナーとバスター・ポージーの両ルーキーが台頭。1958年のサンフランシスコ移転後初のワールドチャンピオンに輝き、黄金時代の幕を開けた。オールスターではナ・リーグが14年ぶりに勝利。イチローはメジャー1年目からの連続200安打を10年連続としたが、結果的にこの年が打率3割を記録した最後のシーズンとなった。
▼2011年
【ワールドチャンピオン】
セントルイス・カーディナルス(5年ぶり11回目)
【主な出来事】
▶バスター・ポージー(ジャイアンツ)が本塁でのクロスプレーで重傷(5月)
▶デレク・ジーター(ヤンキース)が通算3000安打を本塁打で達成(7月)
▶トニー・ラルーサ監督(カーディナルス)が勇退(10月)
▶FAとなったアルバート・プーホルスがロサンゼルス・エンジェルスへ移籍(12月)
ワイルドカードが各リーグ1枠だった最後の年で、その枠をめぐるエンターテインメントが繰り広げられた。両リーグとも、シーズン最終戦を迎えた時点でワイルドカード争いが未決着。しかも、どちらも有利だった球団が9回に追いつかれて逆転負けを喫し、追う側のチームがポストシーズン進出を決めた。特にレッドソックスがオリオールズ相手に9回裏に逆転負けを喫し、レイズがヤンキース戦で7点ビハインドから9回2死からの代打同点弾で追いつき、12回裏にエバン・ロンゴリアのサヨナラ弾で大逆転勝利を手にした流れは「球史で最もスリリングな129分」と評された。
前年に続いて投手優位な傾向が続き、両リーグで投手三冠が誕生。ア・リーグはジャスティン・バーランダー(タイガース)が投手19年ぶりのMVPを受賞した。また、この年は時代の曲がり角でもあった。世界一に輝いたカーディナルスからは、ワールドシリーズで1試合3本塁打を放ったアルバート・プーホルスがFAとなり、名将トニー・ラルーサ監督も勇退して有終の美を飾った。一方、5年連続地区優勝中のフィリーズは、地区シリーズで敗退した試合で主砲ライアン・ハワードがアキレス腱を断裂。これを機に王朝の衰えが顕在化し、長い低迷期へ入っていく。