プロ野球

【2010年代通信簿:ヤクルト】球史に残る強打者を2人輩出しながらも投手陣の低迷で最下位4度

城ノ井道人

2020.06.07

13年9月15日、56号・57号本塁打を放ち、プロ野球シーズン記録を塗り替えたバレンティン。その後も主砲として活躍を続けた。写真:朝日新聞社

 2020年、新たな年代が幕を開ける。ここで改めて、各チームの過去10年間の戦績を通信簿形式で評価してみたい。2人のスーパースターがけん引したヤクルトの10年代を振り返ってみよう。

■2010年代通算成績
646勝743敗46分(勝率.465)/セ・リーグ5位(12球団11位)
日本一:0回 リーグ優勝:1回 CS進出:4回

通信簿:がんばりましょう

 ヤクルトの10年代は「山田哲人とバレンティンの時代」だった。11年に加わったバレンティンは1年目からいきなりリーグ最多の33ホーマーを放つと、12年は故障で長期離脱しながら2リーグ制下では初の規定打席未満での本塁打王に輝いた。そして13年はプロ野球新記録の60本塁打。最下位球団からのMVP受賞も含め「史上初」のオンパレードだった。バレンティンはその後も活躍を続け、故障で15試合の出場に留まった15年を除いて毎年30本塁打以上を放つ安定感で日本球界屈指の大砲として君臨した。
 
 一方の山田は10年ドラフトの外れ外れ1位で入団し3年目に正二塁手として一軍定着。翌14年に日本人右打者のシーズン記録となる193安打を放ち大ブレイクを果たした。そして翌年からは彼の代名詞にもなったトリプルスリー(打率3割・30本塁打・30盗塁)を2年連続で達成。18年にも3度目のトリプルスリー同記録を達成し、今や史上最強の二塁手との声すら出ている。

 しかし、この球史に残る強打者2人を擁しながら最下位を4度も味わい、10年代の通算勝率.465は12球団ワースト2位と、チーム成績は非常に不安定だった。原因は故障者の多さと投手陣の整備不良にある。10年に12勝して将来を嘱望された由規が11年に肩を痛め、5年連続2ケタ勝利を挙げていた館山昌平が13年にトミー・ジョン手術を受けて長期離脱。先発陣の屋台骨となるはずだった2投手が選手生命をほぼ台無しにする故障に見舞われた。