プロ野球

【プロ野球秘話】“KKドラフト“直前の怪情報。巨人は桑田、清原のダブル獲得を狙っていた?

北野正樹

2020.12.31

1985年ドラフトの目玉となった桑田(左)と清原(右)。写真:岡沢克郎アフロ

 吉田義男率いる阪神が、21年ぶりのリーグ優勝、初の日本一に輝きプロ野球界が沸いた1985年。ドラフトも大きな注目を集めた。

 目玉は、1年の夏から甲子園で活躍したPL学園(大阪)のエース桑田真澄と主砲・清原和博だった。甲子園通算20勝の桑田は早大進学を表明し、同13本塁打の清原は、巨人、阪神を希望し、それ以外の球団が指名した場合には、内定している社会人野球の日本生命入社を公言していた。

 11月20日。東京・グランドパレスホテルで行われたドラフト会議で、2人の運命の歯車は意外な方向に大きく回り出すことになる。

 早大進学を希望する桑田を巨人が1位指名。他球団が指名を回避したことから、単独指名で獲得が決まった。一方の清原は南海、日本ハム、近鉄、西武、中日、阪神が1位指名し、最終的に西武が指名権を獲得した。記者会見の席上、唇をかみしめて涙する清原。その姿から、当時の監督だった王貞治を始めとする巨人の裏切りと感じたのは野球ファンだけでなくても当然の感情だった。
 
 このドラフト舞台裏は、これまでにも様々な推測がなされている。そんな中で、現在では「巨人は清原を裏切ったのではなく、早大希望の桑田をあえて指名し、巨人入りを熱望する清原と2人をダブルで獲得する作戦だった」という説が大勢を占めるのではないだろうか。桑田と巨人との密約を疑うメディアもあったが、関係者の証言は得られていない。

 真相は藪の中だが、西武の坂井保之球団代表が「うちもパ・リーグは嫌という清原を1位指名した。巨人が敢然と桑田を指名したのと同じこと。これがプロの仕事」と巨人の方針を支持していたのだから、巨人はスカウト戦術として批判をされるような動きをしていないともいえる。

 実は、「桑田が早大に進学しないのではないか」という怪情報が約1か月前、関係者の間に駆け巡った。鳥取県倉吉市で開催された「鳥取国体」での出来事だった。PL学園は準決勝で高知商(高知)に1―2で敗れ、公式戦を終えたことで初めて進路をメディアに語ることが出来た。10月24日のスポーツ新聞には1面で〔清原「巨人なら最高」〕〔ワセダ一直線 プロ拒否!桑田〕〔ドラフト注目のPL両雄 進路表明〕の大見出しが躍った。
 
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