プロ野球

【プロ野球秘話】南海身売りの1988年、「球界の紳士」と呼ばれた杉浦忠が激怒した夜

北野正樹

2021.01.26

いつも笑顔を絶やさず「球界の紳士」と呼ばれた杉浦(中央)。現役時代は通算187勝という輝かしい成績を残した。写真:産経新聞社

 ミスター・タイガース、村山実が2度目の監督を引き受け、チーム再建に取り組んだ1988年は、プロ野球界にとって激動、変革の年だった。

 巨人の本拠地が後楽園球場から日本初で初めて屋根で覆われた東京ドームに代わってスタートしたシーズンだったが、明るい話題は続かなかった。6月には近鉄のリチャード・デービスが大麻取締法違反で逮捕されるというプロ野球界初めての不祥事が発生。8月には一部報道機関が、南海ホークスのダイエーへの球団身売りを報道。オーナー会議で球団譲渡が承認された同じ10月には、南海と並ぶ関西の老舗球団、阪急ブレーブスがオリエントリース(現オリックス)への譲渡が、パ・リーグのリーグ優勝が決まる日に突如、発表された。川崎球場でのロッテ-近鉄のダブルヘッダー、のちに「10.19」と呼ばれ球史に残るゲームの試合中に行われた記者会見。パ・リーグ所属チームが、リーグ優勝が決まる日に球団譲渡をぶつけたこともまた、前代未聞のことだった。

 深く静かに潜行していた南海の身売りが、はじけたのは8月28日朝。読売新聞西部本社発行の朝刊1面、読売新聞大阪本社発行の朝刊1面と西日本新聞、報知新聞(現スポーツ報知)の4社が同時に報じた。いずれも南海球団がダイエーに買収され、福岡に本拠地を移す、という内容。報知は、《来季から新球団「ユニード」》《系列のユニードが経営へ》と傘下のスーパー、ユニードが新球団を経営すると踏み込んだ。
 
 南海は1938年に創立。1リーグ時代を含め優勝12度、日本一2度の名門。しかし、成績は低迷し、大阪・難波の一等地にある本拠地・大阪球場が関西国際空港の開港に伴う親会社の南海電鉄難波駅周辺の再開発計画で存続が危ぶまれていたことや、同空港に乗り入れる新線建設に伴う財政基盤強化策という南海電鉄の大命題を前に、数年前から球団譲渡が噂されていた。

 それだけに、球団関係者や選手らは、不安を抱えながらも「またか」と、平静を装っていた。監督就任3年目の杉浦忠も、表向きは穏やかだった。物腰が柔らかく、いつも笑顔を絶やさず「球界の紳士」と呼ばれた杉浦が、ある夜、「君のところはいつも大事なところで邪魔をしてくる」と色をなして報道関係者に食ってかかった。

 立教大では長嶋茂雄、本屋敷錦吾と3人で「立教の三羽ガラス」と呼ばれた杉浦。南海では新人で開幕投手を務め、27勝を挙げ新人王に輝いた。通算187勝の輝かしい球歴にもかかわらず、温厚な性格で誰からも慕われた杉浦が激怒したのは、大阪府堺市の自宅だった。