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ダウン症啓発活動に尽力…球史に残る大打者プーホルスの“もう一つの功績”<SLUGGER>

SLUGGER編集部

2021.05.08

愛妻ディードリとのツーショット。夫婦でダウン症患者のための財団を運営している。(C)Getty Images

 アルバート・プーホルスがエンジェルスから解雇されたというニュースは、日本でも大きく取り上げられた。

 これまでの実績を振り返ればそれも当然だ。デビューから10年連続打率3割・30本塁打・100打点達成、3度のMVP、歴代5位の665本塁打、史上4人しかいない通算600本塁打&300安打……プーホルスのキャリアは文字通り数々の栄光に彩られている。

 だが、彼がフィールド外でも大きな足跡を残していることは、日本ではあまり知られていない。

 ドミニカ共和国で生まれたプーホルスは、16歳の時にアメリカのカンザス州に移住した。そして、18歳で運命の出会いを果たした。カンザスシティのラテン系ダンスクラブで知り合った3歳年上のディードリに一目惚れしたのだ。初めてのデートで訪れたレストランで、プーホルスはある事実を知らされた。ディードリは、ダウン症を患うイザベラという娘を持つシングルマザーだったのだ。

 しかし、プーホルスはまったく動じなかった(後年、当時を振り返って「神の導きがあったとしか思えない」と語っている)。2年後、プーホルスはディードリと結婚し、イザベラの父になった。イザベラと暮らす中でダウン症への知識を深めたプーホルスは、ディードリと財団を設立。自らの名声を生かして、ダウン症への啓蒙活動に乗り出した。
 
 08年には地域活動に貢献した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞を受賞。12年にエンジェルスに移ってからは、アナハイムでも積極的にチャリティ活動を展開した。初めてエンジェル・スタジアムにダウン症のファンたちを招いた日、ある少年に「ホームランを打って」と頼まれたプーホルスは、実際に豪快な一発をかっ飛ばしてみせたという。

 球場への招待以外にも、ダウン症の子供たちを対象にした料理教室やゴルフ大会、さらにはプロム(高校の卒業式後に行われるダンスパーティー)も開催。また、ダウン症の若者がチームショップなどのスタッフとして雇用されるためのサポートもしている。コロナ禍で直接交流ができなくなった昨年も、Zoomでイベントを催した。

 2年前、SNSに投稿されたある動画が話題を呼んだ。トロントでの試合終了直後、プーホルスが客席にいたダウン症の少年ファンの下に駆け寄り、着ていたユニフォームを脱ぐとその場でサインしてプレゼントしたのだ。球界を代表するスーパースターの好意に多くの称賛が寄せられたが、プーホルスの以前からの活動を知っている人にとっては、決して意外なことではなかった。