「平成の怪物」が大きな決断を下した。
7月7日、西武ライオンズは、松坂大輔投手が今シーズン限りで現役を引退すると正式に発表。23年に及んだプロキャリアに終止符を打つことを決めた。
【動画】奪三振マシーンと化した松坂大輔のレッドソックス時代のピッチングシーンはこちら
横浜高校の3年となった1998年夏の甲子園決勝、京都成章戦でノーヒットノーランを達成し、春夏連覇という偉業を達成。同年のドラフト会議で西武に指名されると、入団1年目に16勝を挙げて最多勝に輝くなど「平成の怪物」の異名を欲しいままにした。
2006年オフには、ポスティングシステム史上最高額となる約5111万ドル(約60億円)でボストン・レッドソックスへ移籍。1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。翌年には18勝3敗、防御率2.90という圧巻の戦績を残した。
日本代表としてもWBCで第1回大会から2大会連続のMVPを獲得し、連覇に貢献するなど日本のエースとして球界を引っ張った松坂だが、右肘のトミー・ジョン手術を行なった2011年以降は、故障の連続だった。
15年にソフトバンク・ホークスで日本球界に復帰し、中日ドラゴンズ、西武を渡り歩いた。その間に完全復活とはならなかったが、日米通算376試合登板で、170勝108敗2セーブという戦績はあらためて流石というほかにない。
そんな時代の寵児とも言える右腕が下した引退の決断は、海外メディアでも大きく報じられている。
松坂がかつてプレーしたレッドソックスの地元紙『Boston Globe』は、「あの『Dice-K(松坂の当時の愛称)』ことダイスケ・マツザカが40歳での引退を発表した。彼はレッドソックスで50勝37敗という戦績だった」とレポートした。
さらに韓国のポータルサイト『YNA』は、「日本野球のアイコンが去る」と、自国代表の前に幾度となく立ちはだかった“怪物右腕”の引退を惜しんだ。
「マツザカは時代を彩るエースだった。高校時代からすでに全国区のスターだった彼は、日本のプロ野球でも確かな功績を残し、2007年にレッドソックスに天文学的な移籍金で入団した。また、国際舞台でもマツザカは、日本のエースとして活躍した。韓日戦の登板経験もあり、とくに韓国のファンは、2000年のシドニー五輪での3位決定戦で、主砲だったイ・スンヨプと真っ向勝負を演じた彼を忘れはしないだろう」
晩年は怪我に悩まされたが、それでも松坂が日本球界に残した栄光の数々は、ファンの脳裏から失われはしないだろう。なお、西武の渡辺久信GMによれば、「体調面と精神面が回復した段階」で、本人が会見を行なう予定としている。
構成●THE DIGEST編集部
7月7日、西武ライオンズは、松坂大輔投手が今シーズン限りで現役を引退すると正式に発表。23年に及んだプロキャリアに終止符を打つことを決めた。
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横浜高校の3年となった1998年夏の甲子園決勝、京都成章戦でノーヒットノーランを達成し、春夏連覇という偉業を達成。同年のドラフト会議で西武に指名されると、入団1年目に16勝を挙げて最多勝に輝くなど「平成の怪物」の異名を欲しいままにした。
2006年オフには、ポスティングシステム史上最高額となる約5111万ドル(約60億円)でボストン・レッドソックスへ移籍。1年目で15勝を挙げ、ワールドシリーズ制覇に貢献。翌年には18勝3敗、防御率2.90という圧巻の戦績を残した。
日本代表としてもWBCで第1回大会から2大会連続のMVPを獲得し、連覇に貢献するなど日本のエースとして球界を引っ張った松坂だが、右肘のトミー・ジョン手術を行なった2011年以降は、故障の連続だった。
15年にソフトバンク・ホークスで日本球界に復帰し、中日ドラゴンズ、西武を渡り歩いた。その間に完全復活とはならなかったが、日米通算376試合登板で、170勝108敗2セーブという戦績はあらためて流石というほかにない。
そんな時代の寵児とも言える右腕が下した引退の決断は、海外メディアでも大きく報じられている。
松坂がかつてプレーしたレッドソックスの地元紙『Boston Globe』は、「あの『Dice-K(松坂の当時の愛称)』ことダイスケ・マツザカが40歳での引退を発表した。彼はレッドソックスで50勝37敗という戦績だった」とレポートした。
さらに韓国のポータルサイト『YNA』は、「日本野球のアイコンが去る」と、自国代表の前に幾度となく立ちはだかった“怪物右腕”の引退を惜しんだ。
「マツザカは時代を彩るエースだった。高校時代からすでに全国区のスターだった彼は、日本のプロ野球でも確かな功績を残し、2007年にレッドソックスに天文学的な移籍金で入団した。また、国際舞台でもマツザカは、日本のエースとして活躍した。韓日戦の登板経験もあり、とくに韓国のファンは、2000年のシドニー五輪での3位決定戦で、主砲だったイ・スンヨプと真っ向勝負を演じた彼を忘れはしないだろう」
晩年は怪我に悩まされたが、それでも松坂が日本球界に残した栄光の数々は、ファンの脳裏から失われはしないだろう。なお、西武の渡辺久信GMによれば、「体調面と精神面が回復した段階」で、本人が会見を行なう予定としている。
構成●THE DIGEST編集部