高校野球

大谷翔平の高校時代の“評価”を振り返る。投手としての完成度は藤浪が上、打撃も巧いが力はなし<SLUGGER>

西尾典文

2021.08.10

高校時代は1年夏、2年春と甲子園に2度出場した大谷だが、当時は二刀流の成功など予想できなかった。写真:産経新聞社

 日本人メジャーリーガーでは初となるホームラン王に向けて連日アーチを重ねている大谷翔平(エンジェルス)。投手としてもシーズンを追うごとに安定感が増しており、メジャーでは自身初となる2ケタ勝利も射程圏内に入っている。

 2012年に日本ハムに入団した際は「二刀流は無理だ」という声が多かったが、今や世界最高の舞台であるメジャーリーグで二刀流として活躍しているのだからすごいとしか言いようがない。

 かく言う筆者も、大谷の現在のような姿はまったく想像することはできなかった。大谷のプレーを初めて見たのは2011年夏の甲子園、対帝京戦だ。入学直後から大器と評判だったが、この時は左股関節を痛めていたということもあって「3番・ライト」で先発出場。4回途中からリリーフでマウンドに上がったものの、明らかに下半身をかばうようなフォームで、リリースのばらつきも目立っていた。

 それでも、この試合で最速150キロを計測しており、彼の持つ非凡さは十分に伝わってきた。だが、期待よりもフォームを崩してしまう不安の方を感じたことをよく覚えている。
 
 バッティングに関しても、第2打席で当時プロ注目だった伊藤拓郎(元DeNA、現日本製鉄鹿島)の142キロのストレートを一振りでとらえて鋭いセカンドライナーとし、第4打席ではレフトへ2点タイムリーを放ってこちらも非凡なところを見せた。しかし、現在のような力強さはなく、どちらかというと上手さが目立つタイプのように感じた。

 それから約2か月後の秋季東北大会、対日大山形戦でも花巻東の試合を見たが、この時も大谷は故障が治らずにベンチスタート。8回裏に代打で登場して合わせたようなレフトフライがあわやホームランという当たりになったのは驚かされたが、体調が万全でないなかでのプレーであり、評価は難しいというのが正直な印象だった。

 ようやく大谷の逸材としての凄みを見せたのは翌年春のセンバツだ。初戦でいきなり大阪桐蔭と対戦すると、第1打席で藤浪晋太郎(阪神)の変化球をとらえてライトスタンドへ先制ホームランを放ったのだ。

 投げても前年夏とは別人のようなフォームで、負け投手とはなったものの大阪桐蔭の強力打線から11個の三振を奪っている。190cmを超える長身、目立った悪い癖のないフォーム、さらに高い運動能力ということもあり、この時点でドラフト1位の可能性は極めて高いと感じた。
 
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スケールは尋常ではないものの、完成度は低い