プロ野球

「こんな選手は初めてだった」近畿大・田中監督は“怪物”佐藤輝明をいかに育て上げたのか<SLUGGER>

氏原英明

2021.08.13

いかに大学時代からパワーに定評があっても、プロ1年目でこれだけ打てる打者は歴史上でも珍しい。果たして田中監督がこれだけを打者を育て上げた秘訣とは何なのか?写真:山手琢也

 破裂するかのような打球音とともに、硬球がピンポン球のようにフェンスを超えていく。

 阪神のルーキー、佐藤輝明の打球のことだ。前半戦だけで、すでに左打者新人最多の20本塁打をマーク。オールスターのファン投票では堂々のリーグ1位を獲得し、球宴本番でも第2戦に見事本塁打を放つなど、今季のプロ野球を席巻している。五輪期間中のエキシビション・マッチでも12試合で5本塁打を放っている。

 近畿大に在籍していた頃から、その打棒は注目されていた。しかし、これほどの活躍を誰が予想しただろうか。筆者は2020年のドラフト1位で佐藤の阪神入団が決まった当時、「2年後、いや3年後くらいにはタイガースの主力になるだろう」と思っていた。似たタイプのスラッガーである柳田悠岐(ソフトバンク)でさえ、一軍定着までに数年を要している。だから、同様に佐藤も……。そう思っていた。

 だが、この男にそんな下馬評は関係がなかった。

「1年目から20本は想像していなかったですね。矢野(燿大)監督に開幕スタメンで使っていただいたのにはびっくりしました。いくらドラフト1位といっても、レギュラーで出るとは思わなかったです。オープン戦の結果が良かったので、ここまでよくやっていると思います」
 
 そう語るのは、佐藤を"ドラ1選手"に育て上げた近畿大の田中秀昌監督だ。上宮高でコーチや監督を務めていた時には、元木大介(現・巨人ヘッドコーチ)や筒井壮(現・阪神コーチ)などの他、メジャーリーガーにもなった黒田博樹を育て上げた。1993年にはセンバツ全国制覇も果たしている。監督2校目となった東大阪大柏原高では、2011年に同校史上初の甲子園へ導き、石川慎吾(巨人)をプロに送り出すなど、大阪きっての名指導者だ。

「もともと、佐藤のことは知らんかったんです。彼の高校の前の監督が僕の2つ上の方で、30年くらいの付き合いがある人でね。佐藤を見てくれへんか、と連絡をもらったんです。高校3年生の6月くらいでした。うちのグラウンドに来てもらってプレーを見たんですけど、フリーバッティングの最初のスウィングを見て、これはプロに行ける素材だと確信を持ちました」

 スウィングのスピード、力強さ、打球の角度。すべてモノが違う。そんな佐藤を田中監督は1年春のリーグ戦から起用した。木製バットの大学リーグ戦に対し、1年生は高校の金属バットからの移行に苦労するケースが多いが、佐藤は難なく対応した。

 ただ、やはり三振は多かった。今もその悪癖は見えるが、特にワンバウンドになる変化球と、高めのストレートを振ってしまうことが多かった。

 それでも田中監督はあまり口出しをしなかったと言う。

「口やかましく言わずに我慢して使いました。私が言ったことはトップの位置だけですね。『さぁ来い!』という形だけしっかり作れと言いました。4年間。僕からはそれしか言っていない」

 佐藤は三振を繰り返す中で対応していった、ということだろう。田中監督の指導法が「三振が多いからコンタクトを意識させる」という通り一遍のものではなかったから、彼の持ち味は失われなかったのではないか。どれだけ三振をしても、あれだけの打球が打てる。一発で周囲を黙らせるだけの説得力は十分にある。
 
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パワーだけでなく“マイペースさ”も規格外